福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四恩を感じるようになりました

2011-02-09 | 法話
以前高尾山にいくと食後 の偈として「我今此の美わしき食を終りて、心豊かに力身に満つ。 願わくは此の心身を捧げて己が業に勤しみ 誓って四恩に報い奉らむ」という趣旨が書いてありました。突然四恩につきはじめてしみじみと感じました。

『正法念処経』には、母の恩・父の恩・如来の恩・法師の恩の四恩が説かれているし、『大乗本生心地観経』では、父母の恩・衆生の恩・国王の恩・三宝(仏・法・僧)の恩の四恩を説き、また、同じく『大乗本生心地観経』には、父母の恩・師長の恩・国王の恩・施主の恩という四恩も説かれているようです。

  お大師様は、「恵眼をもって観ずれば、一切衆生は皆これ、わが親なり」と説き、道元禅師は「一切衆生斉しく父母の、恩のごとく深しと思うて、作す所の善根を、法界にめぐらす。」と仰せられています。

父母の恩だけでも胸が痛みます。実の両親をすでになくしている私は現世では恩返しのしようがありません。亡くなって数十年後のいまでもときどき両親の夢を見ます。皆同じでしょうがこういうときはなんともいえずなつかしいものです。同時になんとかして恩返しを今からでもしたいと思うものです。せめての恩返しと光明真言を両親のお位牌に毎夕百辺あげることにしています。そんなことぐらいでは追いつかないのですが・・・。

また衆生の恩ということも最近しみじみと感じるようになりました。福聚講もお参りの都度ますます皆さんの貢献によって維持できていると感じています。またいままでもどんなに多くの人に助けてもらったか想像もできないほどです。どんなに感謝してもしきれい思いです。

国の恩ということも真剣に考え始めました。日本が中東紛争地域の国や北朝鮮のような国だったらどんなに苦労していることでしょうか。お参りどころではなかったところです。外国からかえると日本人でよかったとつくずくおもったものです。国の恩ということも真剣に考える必要があります。

また三宝の恩はお大師様も強調されています。佛、法、僧のおかげで宇宙の真理がわかり法界にいることが分かるのです。これがわからねば生きとし生けるものは永久に迷いの中で苦しむことになっていました。

こうして書くとなにか味気ないのですが高尾山でこの「四恩」の文字を見たとき、実際にじぶんでは言いようのない感謝と報恩の念がこみ上げてきたことも事実です。
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