第四十節、克己内省主義
佛教の談理では両極を尽くして且つ其れを調和するという道を以て、之を自己の居るべきところ、即ち安住所と定めるので、それは最も円満にして且つ中正の表示であると共に又必ず両極端を握るという約束を失ってはならないのである。其れが即ち円の形だ。横に並べれば先方の端とこの方の端とでは一番遠いものが丸くすると直ぐに隣り合ってしまう。つまり一切を包容して融通無碍なることの表式である。丁度こういう呼吸に無限向上の大事を任とする者は其の内徳において如何なる微細のものをも苟くもしないという慎みがなければならない。・・畢竟今日の世の中が斯くも堕落したのは内省の力を欠いたためである。・・およそ自らの愚を知るのが智慧の初門、又その智慧の終わりは矢張り自分の愚を知る事だ。自分の愚を徹底して知った暁は今度は没我の大道に活きなければならない。自己を没してより大なる道の中に没入すればそこには無限の進歩向上がある。(注・・ここは聖徳太子が十七条の憲法で
「十に曰く。忿(ふん)を絶ち瞋(しん)を棄て、人の違うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執るところあり。彼是とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理なんぞよく定むべき。相共に賢愚なること鐶(みみがね)の端なきがごとし。ここをもって、かの人瞋(いか)ると雖(いえど)も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われ独り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。」とおっしゃったことに通じます。)
明治天皇の御製に「我が心われとをりをりかえりみよ しらずしらずも 迷ふこと有り」「よしあしを ひとの上にはいひながら 身を顧みる人なかりけり」「おのが身はかえりみずしてともすれば 人のうえのみいふ世なりけり」。曽子も「我日に三たび我が身を省みる。人のために謀って忠ならざるか、朋友とまじわって信ならざるか、伝えて習はざるか(注・・「論語、学而」)の三をもって己を責めたとある。
佛教の談理では両極を尽くして且つ其れを調和するという道を以て、之を自己の居るべきところ、即ち安住所と定めるので、それは最も円満にして且つ中正の表示であると共に又必ず両極端を握るという約束を失ってはならないのである。其れが即ち円の形だ。横に並べれば先方の端とこの方の端とでは一番遠いものが丸くすると直ぐに隣り合ってしまう。つまり一切を包容して融通無碍なることの表式である。丁度こういう呼吸に無限向上の大事を任とする者は其の内徳において如何なる微細のものをも苟くもしないという慎みがなければならない。・・畢竟今日の世の中が斯くも堕落したのは内省の力を欠いたためである。・・およそ自らの愚を知るのが智慧の初門、又その智慧の終わりは矢張り自分の愚を知る事だ。自分の愚を徹底して知った暁は今度は没我の大道に活きなければならない。自己を没してより大なる道の中に没入すればそこには無限の進歩向上がある。(注・・ここは聖徳太子が十七条の憲法で
「十に曰く。忿(ふん)を絶ち瞋(しん)を棄て、人の違うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執るところあり。彼是とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理なんぞよく定むべき。相共に賢愚なること鐶(みみがね)の端なきがごとし。ここをもって、かの人瞋(いか)ると雖(いえど)も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われ独り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。」とおっしゃったことに通じます。)
明治天皇の御製に「我が心われとをりをりかえりみよ しらずしらずも 迷ふこと有り」「よしあしを ひとの上にはいひながら 身を顧みる人なかりけり」「おのが身はかえりみずしてともすれば 人のうえのみいふ世なりけり」。曽子も「我日に三たび我が身を省みる。人のために謀って忠ならざるか、朋友とまじわって信ならざるか、伝えて習はざるか(注・・「論語、学而」)の三をもって己を責めたとある。