福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国88カ所お遍路の旅その十四~第75番札所 五岳山 善通寺~

2016-11-05 | 講員の巡礼(お四国他)ほか投稿
四国88カ所お遍路の旅その14~第75番札所 五岳山 善通寺~

本 尊: 薬師如来
開 基: 弘法大師
創 建: 大同2年(807)

善通寺は、唐より帰朝されたお大師さまが、御父の寄進した地に、師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺で、父の法名「善通」をとって「善通寺」と号したと言う。弘法大師御誕生所である善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ大師三大霊跡のひとつで、古くから篤い信仰をあつめている。

私たち巡礼一行を乗せたバスは、 善通寺インターチェンジから国道319号線へ。西原北交差点を右折、県道4号線を直進し西院の裏手の大駐車場に着く。香川県「涅槃の道場」に入ってから、一番楽しみにしていたお寺、75番札所善通寺。御大師様お誕生の地であることはもとより、友人の実家が「仁王門」前の「山田屋酒店」で、善通寺の話は友人から聞いていて、一度はいってみたいと思っていた。

 


総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、東院、西院の東西二院に分かれている。金堂、五重塔などが建ち並ぶ東院は、創建時以来の寺域、御影堂を中心とする西院「誕生院」は、お大師さまが御誕生された佐伯家の邸宅跡にあたる。境内を歩いていると、御大師様の生誕の地と思うだけでも、歴史の重さを感じる。この地で育った友人が、羨ましくもある。それぞれの時代を生きた巡礼の人々を迎えた善通寺。よく整備されている東院の境内に、ひときは目に入る五重の塔。総高45メートルに及ぶ総欅造り。見上げれば、五段の屋根が、青い空にモダンなフォルムを描いている。

 

先達に従い東院のある金堂(善通寺の本堂)で納経。。本尊・薬師如来坐像は、像高3メートルにも及ぶ。東院西側境内には大きな楠がたっぷりと枝を広げて存在感が大きい。この木が噂に聞く「善通寺境内の大楠」と近寄っていくと、遠くで見たよりなお一層大きく、幹の周囲は12メートルあまり。樹齢は千数百年で、県の天然記念物に指定されている。太く盛り上がった根は絡み合い、年月の重みを強く感じる。周りの柵近くに他の木々は少なく、なんだか寂しい。多くの木の茂った境内を想像してきたせいか、すっきりして見える。

 

石畳の参道を通り抜け、 西院のある御影堂(大師堂)で納経。御影堂の奥殿には大師自作と伝わる本尊・瞬目大師像が秘蔵されている。御影堂地下には、約100メートルの「戒壇めぐり」があり、暗闇の中、法号を唱えながら大師と結縁する道場となっている。善通寺は巡礼の人々のみならず、観光の人々も多く賑わっていた。参詣者が多いにも拘わらず塵一つなく、たっぷりと注ぐ日の光の中、綺麗な石畳を見せていた。

四国のお遍路を終えて、善通寺「仁王門」前に実家のある友人と会って話す機会があった。大楠の話をすると懐かしそうに子供の頃の様子を話してくれた。現在大楠は保護のため、広く柵に囲われているが、昔は柵もなく、あたりには木々が茂り、かくれんぼなどして遊んだという。その時代の樹木の多かった、善通寺を見たかった。

 

翌日宿から歩いて五分ほどの、「金比羅宮」に詣でた。金刀比羅宮は、琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮。海の守護神、農業殖産の神様として信仰されている。参道の石段が有名で、奥社まで登ると1,368段にもなる。以前参道の下まで行きながら、予定がつまり、奥宮まであがれなかった。今回はどうしても、奥宮までいきたかった。本宮までだと785段の石段がある。本宮の御祭神は、大物主神。相殿に伝崇徳天皇がお祭りしてある。本宮から奥宮まで一気に石段を登る。 最後の石段を登り終わると、同時に視野が広がった。山の上の青い空の下で、晴れていたので遠くまで見渡せた。朝の日差しに光る町の家並みの上に、讃岐富士が青紫色の美しい姿を見せていた。
  
             ~つづく~ K&K

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