「各我はぜなりといい、並びに彼は非なりといふ」(三教指帰巻下)です。この文の前には「・・ここに亀毛と隠士とが論諍の戦ひの庭に逢ひぬ・・」とあります。
つまりここで是非を争っているのは九経三史(易、書経、詩経、周礼、儀礼、礼記、左伝、公羊伝、穀梁伝)に通じた亀毛先生と老子の徒である虚亡隠士が「我はぜなりと彼は非なり」と論争しているのを仏教側から仮名乞児が観察してどちらもどっちといったものです。
つまりここで是非を争っているのは九経三史(易、書経、詩経、周礼、儀礼、礼記、左伝、公羊伝、穀梁伝)に通じた亀毛先生と老子の徒である虚亡隠士が「我はぜなりと彼は非なり」と論争しているのを仏教側から仮名乞児が観察してどちらもどっちといったものです。