密宗所学有部律園清規(栄厳)に阿字観の大切さが載っていました。毎朝阿字観にも努めることにします。
「・・早晩の課誦おわって阿字を観ずべし。坐香一柱をもって定課とす。・・遺戒にいわくおよそ出家修道は本仏果を期すと云々。又曰く行住坐臥懈ることなく精進修行して速やかに浄菩提心を開顕すべきなりと。その菩提心とは即ちこれ阿字門なり。・・これ阿字は両部理智の本源、諸仏の法体なるゆえんなり。金剛頂経に云うがごとく阿字は菩提心種智の本源、一切の字母なり。十方三世の諸仏所説、一切の法門もこの字体に非ざる事なし。わずかに念ずれば一切如来の法を称するに同じと。復、大日経に云うに准ぜば一切真実の心は所謂、阿字門なり。この諸の真言の心を念ずるをもっとも無上となすと。
又、大疏(大日経疏)にいわく、一切如来、昔この門によって正覚を成ず。・・高祖観文(阿字観用心口決)にいわく三身はただ阿字の一乗をときたまふ。・・名を聞き耳に触るれば衆罪氷のごとくに消え、声を唱え字を見れば万徳雲の如くに集まる。浅観但信するも直ちに浄土に遊ぶ。深く円智を修すれば現に仏果を証すと。また「桧尾記」にいわく、ひとたび阿字を観ずれば八万仏経同時に読誦するに勝れたりと。・・」
「・・早晩の課誦おわって阿字を観ずべし。坐香一柱をもって定課とす。・・遺戒にいわくおよそ出家修道は本仏果を期すと云々。又曰く行住坐臥懈ることなく精進修行して速やかに浄菩提心を開顕すべきなりと。その菩提心とは即ちこれ阿字門なり。・・これ阿字は両部理智の本源、諸仏の法体なるゆえんなり。金剛頂経に云うがごとく阿字は菩提心種智の本源、一切の字母なり。十方三世の諸仏所説、一切の法門もこの字体に非ざる事なし。わずかに念ずれば一切如来の法を称するに同じと。復、大日経に云うに准ぜば一切真実の心は所謂、阿字門なり。この諸の真言の心を念ずるをもっとも無上となすと。
又、大疏(大日経疏)にいわく、一切如来、昔この門によって正覚を成ず。・・高祖観文(阿字観用心口決)にいわく三身はただ阿字の一乗をときたまふ。・・名を聞き耳に触るれば衆罪氷のごとくに消え、声を唱え字を見れば万徳雲の如くに集まる。浅観但信するも直ちに浄土に遊ぶ。深く円智を修すれば現に仏果を証すと。また「桧尾記」にいわく、ひとたび阿字を観ずれば八万仏経同時に読誦するに勝れたりと。・・」