15、大師三十三歳、大同元年(806)宮島弥山ご修法・・・宮島弥山大聖院(大師は帰朝後筑紫の観世音寺から入洛の途次、宮島の弥山をごらんになり、諸仏菩薩の影向の霊山なりとして恵果阿闍梨伝授の求聞持法を修せられ、これが宮島大聖院の濫觴とされます。阿波太龍寺と並びいまでも求聞持修行道場となっています。
16、大師三十三歳、大同元年(806)麻耶山登嶺・・・麻耶山天上寺(六甲山頂近くにある。大師ご入洛時に梁武帝作の摩耶夫人像を請来して当寺に奉安されたと伝えます。)
17、大師三十三歳、大同元年(806)三宝荒神勧請・・・来迎院(東山泉涌寺塔頭来迎院、大師が唐にて感得された三宝荒神をはじめて祀られたといわれます。)
18、大師三十四歳、大同二年(807)独鈷懸松・・・千手寺(亀岡薭田神社奥にある。大師帰朝の船中より独鈷を投げられたが帰国後春日神社ご託宣により白鹿に導かれてここに独鈷懸松を発見されたと伝えられます。なお恵果阿闍梨より請けた三鈷・五鈷・十鈷を投げられたうち三鈷杵は高野山・五鈷杵は珠洲の法住寺、十鈷は佐渡の小比叡山に着いたとの伝承もあるようです。)
16、大師三十三歳、大同元年(806)麻耶山登嶺・・・麻耶山天上寺(六甲山頂近くにある。大師ご入洛時に梁武帝作の摩耶夫人像を請来して当寺に奉安されたと伝えます。)
17、大師三十三歳、大同元年(806)三宝荒神勧請・・・来迎院(東山泉涌寺塔頭来迎院、大師が唐にて感得された三宝荒神をはじめて祀られたといわれます。)
18、大師三十四歳、大同二年(807)独鈷懸松・・・千手寺(亀岡薭田神社奥にある。大師帰朝の船中より独鈷を投げられたが帰国後春日神社ご託宣により白鹿に導かれてここに独鈷懸松を発見されたと伝えられます。なお恵果阿闍梨より請けた三鈷・五鈷・十鈷を投げられたうち三鈷杵は高野山・五鈷杵は珠洲の法住寺、十鈷は佐渡の小比叡山に着いたとの伝承もあるようです。)