源氏「総角」に当時のあの世観が出ていました。
「不断経の、暁方のゐ替はりたる声のいと尊きに、阿闍梨も夜居にさぶらひて眠りたる、うちおどろきて陀羅尼読む。老いかれにたれど、いと功づきて頼もしう聞こゆ。
「いかが今宵はおはしましつらむ」
など聞こゆるついでに、故宮の御ことなど申し出でて、鼻しばしばうちかみて、
「(八の宮)はいかなる所におはしますらむ。さりとも、涼しき方にぞ(極楽浄土)、と思ひやりたてまつるを、先つころの夢になむ見えおはしましし。
俗の御かたちにて、『世の中を深う厭ひ離れしかば、心とまることなかり
しを、いささかうち思ひしことに乱れてなむ、ただしばし願ひの所を隔た
れるを思ふなむ、いと悔しき。すすむるわざせよ(追善供養せよ)』と、いとさだかに仰せられしを、たちまちに仕うまつるべきことのおぼえはべらねば、堪へたる
にしたがひて、行ひしはべる法師ばら五、六人して、なにがしの念仏なむ
仕うまつらせはべる(称名念仏をさせた)。
さては、思ひたまへ得たることはべりて、常不軽をなむつかせはべる(常不軽菩薩の行をさせた)」
など申すに、君もいみじう泣きたまふ。かの世にさへ妨げきこゆらむ罪
のほどを、苦しき御心地にも、いとど消え入りぬばかりおぼえたまふ。
「いかで、かのまだ定まりたまはざらむさきに参でて、同じ所にも」
と、聞き臥したまへり。・・」
「不断経の、暁方のゐ替はりたる声のいと尊きに、阿闍梨も夜居にさぶらひて眠りたる、うちおどろきて陀羅尼読む。老いかれにたれど、いと功づきて頼もしう聞こゆ。
「いかが今宵はおはしましつらむ」
など聞こゆるついでに、故宮の御ことなど申し出でて、鼻しばしばうちかみて、
「(八の宮)はいかなる所におはしますらむ。さりとも、涼しき方にぞ(極楽浄土)、と思ひやりたてまつるを、先つころの夢になむ見えおはしましし。
俗の御かたちにて、『世の中を深う厭ひ離れしかば、心とまることなかり
しを、いささかうち思ひしことに乱れてなむ、ただしばし願ひの所を隔た
れるを思ふなむ、いと悔しき。すすむるわざせよ(追善供養せよ)』と、いとさだかに仰せられしを、たちまちに仕うまつるべきことのおぼえはべらねば、堪へたる
にしたがひて、行ひしはべる法師ばら五、六人して、なにがしの念仏なむ
仕うまつらせはべる(称名念仏をさせた)。
さては、思ひたまへ得たることはべりて、常不軽をなむつかせはべる(常不軽菩薩の行をさせた)」
など申すに、君もいみじう泣きたまふ。かの世にさへ妨げきこゆらむ罪
のほどを、苦しき御心地にも、いとど消え入りぬばかりおぼえたまふ。
「いかで、かのまだ定まりたまはざらむさきに参でて、同じ所にも」
と、聞き臥したまへり。・・」