1、「花祭りの根拠」
昔から、寺々は花祭りが一番華やぐときです。私の生まれた山寺でも、裏山からとってきた野生のつつじなどを花御堂の屋根に飾り、その中の灌佛桶に可愛いお釈迦様を立て、前日から沸かしておいた甘茶を大きな盥に入れて、麓から子供たちが手に手に入れ物を以て甘茶を分けてもらいに来るのを待ったものです。
徒然草十九段に「・・『灌仏の比、祭の比、若葉の、梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ』と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。・・」とあります。
日本での始まりは日本書紀に「推古天皇一四年(606)夏四月乙酉の朔壬辰に、銅の丈六の仏像、作り祀り竟りぬ。この日に丈六の銅の像を元興寺の金堂に坐せシム。・・・即日に設斎す。この年より初めて寺ごとに四月の八日、七月の十五日に設斎す・」とあります。七世紀はしめから花祭りは日本で毎年行われてきたということになります。
このお釈迦様に甘茶をかけるという行事(花祭り、灌仏会)の根拠は、お釈迦様がお生まれになったとき(お釈迦様はBC.463年4月8日ルンビニー(藍毘尼)で 浄飯王の摩耶夫人の右脇から出生されました)7歩歩まれて「天上天下唯我獨尊」とおっしゃり、龍王が灌浴した、という故事に基いています。
(根本説一切有部毘奈耶雜事には「菩薩生れる時、帝釋天は親しく自ら手に承けて、蓮花上に置きたまう。(釈尊は)扶侍せざるに足を蹈んで七花行き、七歩み已り、遍く四方を觀て手にて上下を指し、是の如くの語をなしたまふ。『此れ即ち我が最後の生身なり。天上天下唯我獨尊。』梵王は傘を捧げ、天帝は拂を執る。虚空の中において龍王は水を注ぐ。一温一冷にして菩薩を灌浴す・・」とあります。また灌洗仏像形経に「今日の賢者某甲、皆慈心好意を為して仏道に信向し、度脱を求めんと欲して種々の香華を持って仏の形像を洗す、みな七世の父母、五趣親族、兄弟妻子の厄難中に在るがための故に、十方五趣勤苦の為の故に・・」とあります。景徳傳燈録、大唐西域記等にもあります。)
2、「お釈迦様のご一生。」
お釈迦様のご一生は八相成道といわれる8つの場面で説明されます。下天・託胎・誕生・出家・降魔・成道・転法輪・涅槃です。
「下天」とは 兜率天に下生されたこと。
「託胎」とは、お釈迦様が衆生済度のため兜率天より白象にのり降りてきて、摩耶妃の右脇より体内にはいられたことです。(「佛本行集経」)
「誕生」とはBC.463年4月8日ルンビニー(藍毘尼)で 浄飯王の摩耶夫人の右脇から出生されたことです。『修行本起経』卷上・菩薩降身品第二には、このときお釈迦様は天地を指されて「天上天下唯我為尊 三界皆苦吾当安之」とおっしゃったとあります。
「出家」とは 四門出遊(舎衛城の東門で老人に、南門で病人に、西門で死者に会い北門で沙門に会われます。)の後29歳にして王子の地位を捨て修行生活を始められことです。
「降魔」とは 成道直前に悟りを妨げる魔を下されたことです。大般涅槃経では、仏陀伽邪の菩提樹の下で禅定にはいったお釈迦様に対し、魔が美女や悪鬼の軍団の姿で押しよせたがお釈迦様は「官能におぼれて遊んでいるのは幼児がオムツで糞まみれになって喜んでいるようなものだ」とおっしゃったとあります
「成道」とは仏陀伽邪で35歳の12月8日未明明星をみて悟りを開かれたことです。がこの内容が大問題なのです。このお悟りを追体験すべく古今東西のあらゆる高僧が厳しい修行をされてきたわけです。凡夫に分かるはずがありません。密教では曼荼羅でこれを表しているとしますが一般的にはこのときのお悟りは中道、縁起、四聖諦、八正道の四つの真理から成り立っているとされます。中道とは、端的にいうと二者択一の「あれかこれか」の極端な考えでなく「あれもありこれもあり」と穏やかにかんがえることです。四諦とは、苦諦・集諦・滅諦・道諦をいいます。このうち前二者は流転の因果を示し、後二者は悟りの因果を示します。八正道とは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八種の徳です。このなかで中心は縁起だと思います。縁起とは、すべての主体客体が時間空間をこえ次元を超え相互に入り込んで無限に関係しているということ、自分は、時間的にも空間的にも、無限のいのちの集積であり、我々の「いのちとこころ」の織り成す霊妙な世界は無限の生死をふくんで宇宙曼荼羅を織りなしているということでしょうか。
「転法輪」とは ヴァーラーナシーのサルナート(波羅奈国仙人堕処鹿野苑)で修行仲間の五比丘に初めて説法されたことです。「中道を行ずれば心即寂定、八聖道を修し生老病死の苦を離る、我すでに中道の行を随順して阿辱多羅三貘三菩提を成ぜり」と説かれたと「過去現在因果経」にあります。
「涅槃」とはBC.383年 80歳の2月15日拘尸那掲羅にて滅を示されたことです。
3、釈尊出生の理由は?これが問題です。
さきの『修行本起経』に、お釈迦様はお生まれになったとき、「三界皆苦吾当安之(三界は皆苦也。吾まさにこれを安んぜん)」苦しむ衆生を助けてやろう、とおっしゃったとあります。
さらに法華経『方便品』にも有名な答があります。 「諸仏世尊は唯(ただ)一大事の因縁を以ての故に、世に出現したもう。諸仏世尊は、衆生をして、仏知見(ぶっちけん)を開かしめ、清浄(しょうじょう)なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう」衆生を悟らせるために出生されたというのです。さきの衆生を救うのも悟らせるのも同じことです。悟らなければ救われないのですから。このお釈迦様の大恩を思い出して励みたいものです。
最新の画像[もっと見る]
- 金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論 7ヶ月前
- 一日は定光佛・熱田大明神・妙見様・天神と地神の日 2年前
- 万人幸福のしおり 4年前
- 佛説彌勒大成佛經 (全巻書き下し) 4年前
- 四国八十八所の霊験・・・その97 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その92 6年前
- 四国八十八所の霊験・・その89 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その88 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その83 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その76 6年前