今日は法然上人のお生まれになった日です。
上人は長承2年(1133年)4月7日、美作国久米(岡山県久米郡久米南町)の押領使・漆間時国の子としてお生まれになりましたが、9歳の時父が土地争いで暗殺されます。そのおり時国は「我死去の後、世の風儀に随て敵を恨ることなかれ、これ偏に先世の報なり、若此讎を報んと欲はば、世世生生互に害心を懐て、在在所所に輪回絶ことなからん。生ずる者は皆死を悲む、愁憂更に限なし、我此疵を痛む、人又何ぞ痛まざらん、我此命を惜む、人豈惜まざらんや。我が情をもて人の思を知べし。然に則ち一向に専ら自他平等の済度を祈り、怨瞋悉く消て親疏同菩提に至らんことを願べし」と遺言します。これは俗人でありながらすでに悟りの境地です。此の父在りて此の子ありとはこういうことを言うのでしょう。上人は善通寺へお参りされたり、高野山奥の院に自分のお墓を作ったりしておられます。弘法大師を尊敬されていたと思われます。百四十五か条問答にも
「一。ほとけの開眼と供養とは、一つ事にて候か。
答。開眼と供養とは、別の事にて候べきを、おなじ事にしあひて候也。開眼と申すは、本体は仏師がまなこをいれひらきまいらせ候を申候也。これをば事の開眼と申候也。つぎに僧の仏眼の真言をもて、まなこをひらき、大日の真言をもて、ほとけの一切の功徳を成就し候をば、理の開眼と申候也。つぎに供養といふは、ほとけに花香・仏供・御あかしなんどをもまいらせ、さらぬたからをもまいらせ候を供養とは申候也。」とあり密教にも通じておられたとわかります。
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