福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

般若心経秘鍵(解説訳付)・・その26

2016-09-26 | お大師様のお言葉
原文「

問う。陀羅尼は、是れ如来の秘密語なり。(とう。だらには、これにょらいのひみつごなり。

所以に、古の三蔵、諸の疏家、皆口を閉じ、筆を絶つ。(このゆえに、いにしえのさんぞう、もろもろのしょけ、みなくちをとじ、ふでをたつ。

今、この釈を作る、深く聖旨に背けり。(いま、このしゃくをつくる。ふかくしょうしにそむけり。

如来の説法に二種有り、一には顕、二には秘なり。(にょらいのしょほうににしゅあり、ひとつにはけん、ふたつにはひなり。

顕機の為には、多名句を説き、秘根の為には、総持の字を説く。(けんきのためには、たみょうくをとき、ひこんのためには、そうじのじをとく。

この故に、如来自らア字オン字等の種種の義を説きたまえり。(このゆえに、にょらいみずからあじおんじとうのしゅじゅのぎをときたまえり。

是れ則ち秘機の為に、この説を作す。(これすなわちひきのために、このせつとなす。

龍猛・無畏・広智等もまた、その義を説きたもう。(りゅうみょう・むい・こうちらもまた、そのぎをときたもう。

能不の間、教機に在り。(のうふのかん、きょうきにあり。

之を説き、之を黙する、並びに仏意に契えり。(これをとき、これをもくする、ならびにぶっちにかなえり。

問う。顕密二教、その旨、天に懸なり。(とう。けんみつにきょう、そのむね、はるかにはるかなり。

今この顕経の中に、秘義を説く、不可なり。(いまこのけんきょうのなかに、ひぎをとく、ふかなり。

医王の目には、途に触れて、皆薬なり。(いおうのめには、みちにふれて、みなくすりなり。

解宝の人は、礦石を宝と見る。(げほうのにんな、こうしゃくをたからとみる。

知ると知らざると、何誰が罪過ぞ。(しるとしらざると、たれがざいかぞ。

またこの尊の真言儀軌観法は、(またこのそんのしんごんぎきかんぽうは、

仏、『金剛頂』の中に説きたまえり。(ほとけ、『こんごうちょう』のなかにときたまえり。

此れ、秘が中の極秘なり。(これ、ひがなかのひなり。

応化の釈迦は、給孤園に在して、(おうけのしゃかは、きつおんにいまして、

菩薩・天人の為に、画像・壇法・真言・手印等を説きたもう。(ほさつ・てんにんのために、がほう・だんぽう・しんごん・しゅいんとうをときたもう。

また是れ秘密なり。(またこれひみつなり。

陀羅尼集経第三巻、是れなり。(だらにじっきょうのだいさんのまき、これなり。

顕密は人に在り、声字は、即ち非なり。(けんみつたにんにあり、しょうじは、すなわちひなり。

然れども猶、顕が中に秘、秘が中の極秘なり。(しかれどもなお、けんがなかのひ、ひがなかのごくひなり。

浅深重重まくのみ。(せんじんじゅうじゅうまくのみ。


訳・・・
質問する者がいう。

「陀羅尼は、仏の秘密の言葉である。

そのために、古来の鳩摩羅什や玄奘などの顕教の翻訳三蔵たちや、窺基、法蔵等疏釈を書いた祖師たちが、詳しく論じることを避けて、執筆することもなかったのである。

いま、この陀羅尼に注釈をほどこしたことは、仏の御心に甚だしく背くものではないか。」

答えていう。
「そうではない。仏の教えに、二種類ある。第一は、顕教であり、第二は、密教である。

顕教えによってさとる者のためには、多くの言葉や文句を費やして説法し、密教によってさとる者のためには、一字に千里を含む陀羅尼を説くのである。

この故に大日如来は、ア字、オン字(梵字表記)などのさまざまの秘密の意味をお説きになったのである。(大日経等の密教経典で)

これはすなわち、密教により悟る資格をもつもののためには、秘義も説かれたということである。

密教の祖師たち、たとえば龍猛は「菩提心論」で、善無畏は「大日経疏」で・不空は「仁王般若陀羅尼釈」で真言を釋している。

仏が法を説いたり、あるいは黙していたりする違いは、ひとえにそれを受け取る側にかかっているのである。

だから、陀羅尼を説くことも、説かないことも、いずれも仏のみ心にかなっているのである。」

再び質問者が問う。
「顕教と密教の二つの教えは、その主旨がはるかにかけはなれている。

いま、『般若心経』という顕教の経典の中に、密教の意味を論じているが、それは不可能なことである。」

答えていう。
漢方に優れた人の人の目から見れば、道端の雑草に薬草に見る。

宝石を見分ける者には、路傍の石に宝石を見る事ができる。

これを密教経典と理解できるか、できないかは、心経の咎ではない、理解できないものの咎である。

そうであればこそ、般若菩薩の真言・修法・観想について法身如来が金剛頂経に属する『修習般若波羅蜜菩薩観行念誦儀軌』に説かれているのである。

さらに応化身の釈迦如来も祇園精舎において菩薩や天人のために、仏たちの像や、曼荼羅の作法、真言、印等について「陀羅尼集経・第三巻」に説かれた。これもまた、秘密の経である。



顕教と密教の相違は、教えを受ける側の人によるのであって、経文に、違いはない。

しかし、顕教の中にも陀羅尼のような秘密があり、密教の中にも秘と極秘がある。

このように秘密にも浅深があり、教えは幾重にも重なりあっているのである。」
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