原文「
我、秘密真言の義に依って(われ、ひみつしんごんのぎによって
略して『心経』五分の文を讃ず(りゃくして『しんぎょう』ごぶんのもんをさんず。
一字一文、法界に遍じ(いちじいちもん、ほっかいにへんじ
無終無始にして、我が心分なり(むじゅうむしにして、わがしんぶんなり
翳眼の衆生は、盲て見ず(えいげんのしゅじょうは、めしいてみず。
曼儒・般若は能く紛を解く(まんじゅ・はんにゃはよくふんのとく
この甘露を灑いで迷者を霑す(このかんろをそそいでめいじゃをうるおす
同じく無明を断じて魔軍を破せん(おなじくむみょうをだんじてまぐんをはせん
訳・・・
私はいま、般若心経を密教経典とする見解によって、
『般若心経』を五つの部分にわけて解釈し、それを讃賛してきた。
経の一つ一つの文字、文章はことごとく皆、法曼荼羅であるから
時間空間を越えて無始無終であり、それはとりもなおさず我々の心である。(お経の文字は即ち宇宙に広がっている我々の心であるというのはなんという壮大なことでしょうか)
真理の眼を閉ざされた人は、宇宙の真理である曼荼羅(自分の本当の心)を見ることができないで苦しんでいるが、
文殊と般若の両菩薩は、このような人々の迷いを断つことができる。
この心経が持つ甘露の妙薬をそそいで、迷える人々をうるおし、
さらには、ともに、無明煩悩を断って魔軍を打ち破らんことを
我、秘密真言の義に依って(われ、ひみつしんごんのぎによって
略して『心経』五分の文を讃ず(りゃくして『しんぎょう』ごぶんのもんをさんず。
一字一文、法界に遍じ(いちじいちもん、ほっかいにへんじ
無終無始にして、我が心分なり(むじゅうむしにして、わがしんぶんなり
翳眼の衆生は、盲て見ず(えいげんのしゅじょうは、めしいてみず。
曼儒・般若は能く紛を解く(まんじゅ・はんにゃはよくふんのとく
この甘露を灑いで迷者を霑す(このかんろをそそいでめいじゃをうるおす
同じく無明を断じて魔軍を破せん(おなじくむみょうをだんじてまぐんをはせん
訳・・・
私はいま、般若心経を密教経典とする見解によって、
『般若心経』を五つの部分にわけて解釈し、それを讃賛してきた。
経の一つ一つの文字、文章はことごとく皆、法曼荼羅であるから
時間空間を越えて無始無終であり、それはとりもなおさず我々の心である。(お経の文字は即ち宇宙に広がっている我々の心であるというのはなんという壮大なことでしょうか)
真理の眼を閉ざされた人は、宇宙の真理である曼荼羅(自分の本当の心)を見ることができないで苦しんでいるが、
文殊と般若の両菩薩は、このような人々の迷いを断つことができる。
この心経が持つ甘露の妙薬をそそいで、迷える人々をうるおし、
さらには、ともに、無明煩悩を断って魔軍を打ち破らんことを