日本紀略「長保元年999十一月六日太皇太后御悩に依り、権僧正観修をして、千手観音法を修せしむ、尋で、少僧都勝算をして、御修法を行はしむ」
・天皇は一条天皇。
・太皇太后とは昌子内親王 のこと。朱雀天皇第一皇女で冷泉天皇の中宮。
資質淑慎で仏教に帰依すること篤く、永観三年(985)北岩倉山大雲寺に観音院を創建したことから、観音院太后とも呼ばれた。和泉式部も仕えた。長保元年12月1日には五十歳で崩御。観音院に土葬。
・観修は平安中期の天台僧。長谷大僧正,解脱寺僧正とも称される。園城寺長吏。有験の僧として知られ,死者を蘇生させたといわれる。
「宇治拾遺物語」「業遠朝臣蘇生の事」に
「これも今は昔、業遠朝臣死ぬる時、御堂の入道殿仰せられけるは、「言ひ置くべき事あらんかし。不便(ふびん)の事なり」とて、解脱寺観修僧正を召し、業遠にむかひ給ひて加持する間、死人たちまち蘇生して、用事をいひて後、また目を閉ぢてけりとか。」
・勝算は平安時代中期の天台僧。京都修学院をひらき,園城寺長吏。
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