第三節
四、無量の因縁により現れたものが永久にそのまま存続すると信ずるのは常見という誤った考えである。またまったくなくなると信ずるのは断見という誤った考えである。
この断・常、有・無はものそのものの姿ではなく、人の執着から見た姿である。すべてのものはもともとこの執着の姿を離れている。
ものはすべて縁によって起ったものであるから、みなうつり変わる。実体を持っているもののように永久不滅ではない。移り変わるので幻のようであり、陽炎のようであるがしかも同時にそのまま現実である。移り変わるままに現実なのである。
川は人にとっては川とみえるが、餓鬼にとっては火と見える。川は餓鬼にとっては「ある」とはいえず、人にとっては「ない」とはいえない。
同じようにすべてのものはみな「ある」とはいえず、「ない」とはいえない。
しかもこの幻のような世界を離れ、真実の世も永遠不滅の世もないないのであるから、この世を仮のものと見るのも誤り、実の世と見るのも誤りである。
四、無量の因縁により現れたものが永久にそのまま存続すると信ずるのは常見という誤った考えである。またまったくなくなると信ずるのは断見という誤った考えである。
この断・常、有・無はものそのものの姿ではなく、人の執着から見た姿である。すべてのものはもともとこの執着の姿を離れている。
ものはすべて縁によって起ったものであるから、みなうつり変わる。実体を持っているもののように永久不滅ではない。移り変わるので幻のようであり、陽炎のようであるがしかも同時にそのまま現実である。移り変わるままに現実なのである。
川は人にとっては川とみえるが、餓鬼にとっては火と見える。川は餓鬼にとっては「ある」とはいえず、人にとっては「ない」とはいえない。
同じようにすべてのものはみな「ある」とはいえず、「ない」とはいえない。
しかもこの幻のような世界を離れ、真実の世も永遠不滅の世もないないのであるから、この世を仮のものと見るのも誤り、実の世と見るのも誤りである。