第三節 真実の姿
三、 すべてのものは来る事もなく、去ることもなく、生ずることもなく、滅することもなく、したがって得ることもなければ失うこともない。
仏は「すべてのものは有無の範疇を離れているから、有にあらず、無にあらず、生ずることもなければ滅することもない」と説く。
すなわちすべてのものは因縁によって成り立つ。ものそれ自体の本性は実在性がないから有にあらずといい、また因縁から成り立っているので無でもないから、無にあらずというのである。
ものの姿をみて、これに執着するのは、迷いの原因である。もしもものの姿を見ても執着しないならば、はからいは起こらない。さとりはこのまことの道理を見て計らいのこころを離れることである。
まことに世はゆめのようであり、財宝もまた幻のようなものである。絵には見える遠近とおなじく、見えるけれどもあるのではない、。すべては陽炎のようなものである。
三、 すべてのものは来る事もなく、去ることもなく、生ずることもなく、滅することもなく、したがって得ることもなければ失うこともない。
仏は「すべてのものは有無の範疇を離れているから、有にあらず、無にあらず、生ずることもなければ滅することもない」と説く。
すなわちすべてのものは因縁によって成り立つ。ものそれ自体の本性は実在性がないから有にあらずといい、また因縁から成り立っているので無でもないから、無にあらずというのである。
ものの姿をみて、これに執着するのは、迷いの原因である。もしもものの姿を見ても執着しないならば、はからいは起こらない。さとりはこのまことの道理を見て計らいのこころを離れることである。
まことに世はゆめのようであり、財宝もまた幻のようなものである。絵には見える遠近とおなじく、見えるけれどもあるのではない、。すべては陽炎のようなものである。