願いは叶わない方がよかったと気が付いたこと。
数か月前或る事が不成就で祈りも叶わぬことがあるのだなあ、と荒んだ気持ちになりかけたことがありましたが、或る人に「それはどう考えても叶わない方がよかった。願った通りになっていたら大変な苦労をするところだった」といわれて冷静に考えると「そうだった」と気が付きました。目の前の事案に近視眼的に囚われていると冷静な判断ができなくなっていますが、すこし距離を置いて考えると「むしろこれでよかったのだ」「これがお陰だった」と思う時が来ます。
「加持祈祷の原理と実修(三井英光)」に「般若心経にある如く、一切は空で実体はない。しかれば祈れば事態は変わり効験はあらわれてくることとなる。そしてその場合、効験は必ず因縁を通して現れてくる。・・加持するのは神秘実在の大地に種をまくようなもので、すぐに生える場合と春にならぬと生えぬ場合がある。すぐに効験が表れてこないのはまだ生える因縁になってあらぬからである。・・むしろお蔭のないのがお蔭だと思うべきである。いまお蔭を出しては為にならぬと思われる時には仏様はかえってお蔭を隠していらっしゃる、それが実はお蔭である。丁度出してよい時にはちゃんと出してくださるのである。・・・そうはいっても直ちにお蔭の顕れることは皆望むところである。そのためには当事者・関係者に平生から仏の神秘加持力を信じて終始真心をもち続けるよう指導すべきである。・・また時に思いがけない障碍のあらわれることがある。・・むしろ障碍があるほどますます(関係者は)懺悔し、(行者は)修法すればかえって災い転じて福となるのである。・・仏様は真の御親だから叱られても叱られても寄り添って拝みますます修行にはげめばお蔭は雨の如く降ると知るべきである。(「三井英光、加持祈祷の原理と実修」趣意)」