福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

佛教人生読本(岡本かの子)より・・その25

2014-03-03 | 法話

第二五課 母性愛



母という不思議な存在を
子よ、あなた方、はっきりと
意識のなかに入れていますか

母という不思議な謎を
子よ、あなた方、はっきりと
解き得たことがありますか

母という存在は、子にとってあまりに大きく
意識のなかに畳み入るべく
あまりに大きく

母という謎は
解かんとして解き得べく
あまりに深く濃こまかき謎なり

さらば、母なる我の
子をおもう母のこころを
語りてもみん

折から東京の外との面もは秋雨あきさめ
うすら冷たく庭草にわぐさの濡れそぼつなか
眼に入るは、つわぶきの花の黄のいろ

子よ、と呼びかくべくあまりに遠い
我が子は、ふらんすの
巴里ぱりの都に

子よ、と呼ぶ声より先に
我が眼には、早や涙
秋雨にふるるつわぶき

あわれつわぶきの黄金こがねの花よ
その花の黄金色こそ、稚き日の子がいでたち――制服のぼたんのいろに
制帽の徽章きしょうのいろに……

あわれ子よ
お茶喫のむか、巴里の都に
絵を描かくか、巴里の都に

お茶のみて母をや忘るる
絵を描きて母をや忘るる
忘るるも、よしやわが子よ

にっぽんの雨降る夕
つわぶきの花をみつめて
母はおまえを懐かしみ泣く

母は今宵、外出します
黒いドレスに赤い小粒の首かざり
おまえが母に一番似合うと言った服装

母はおまえの取りわけ懐かしいとき
おまえの好みの服装
お前の好みの髪の梳くしけずりかたをする

母はときどき掌たなごころを見る
おまえを育てた時
おまえのおしりをときどき叩いて叱ったおもい出

叩いたのも
撫でてやったのも
愛情だった、みんな、みんな、愛情だった

そうしてお前は好い児に育った
今は巴里の
尖端画壇せんたんがだんの中堅作家

お茶喫むかわが児よ巴里に
絵を描くか、友と語るか
日本の母を忘れて

忘るるもよしやわが児よ
育ち行くおまえの命、才分さいぶんの弾ぜ溢るるに
何いつしかも母の事など

忘るとも、よしやわが児よ
おまえが母は「母観世音ははかんぜおん」
おまえが母を忘れていても

おまえの母の「母観世音」
いつもおまえを忘れていない
宇宙の母性も観世音菩薩かんぜおんぼさつ

衆生しゅじょうの母性も観世音菩薩
衆生が呼べばたちどころに
難を救うは観世音菩薩

悲しき時は母の名を呼べ
おまえの母は「母観世音」
たとえ常には忘れていても、悲しき時には母を呼べ

ああ、にっぽんの秋のくれがた
冷い雨が降っていますよ
つわぶきの黄いろい花が眼に沁みる


(どこかで読んだのですが、岡本かの子は太郎のパリの部屋の壁に「南無観世音」か般若心経の一節かを大書したということです。いかに太郎に対する愛情が深かったかということがわかります。

古来母の歌は多く残されています。
・「 たらちねの、母が呼ぶ名を、申さめど、道行く人を、誰れと知りてか」(万葉集、意味: 母が呼ぶ(私の)名をお教えしたいけれども、通りすがりの人が誰かは分からないので教えられませんよ。母がやさしい声で子の名を呼んでいる情景が目に浮かびます。
・「たらちねの 母が手放はなれ かくばかり すべなき事は いまだ為せなくに 」(万葉集、今まで守ってくれていた母の手を離れて生活しているが、異性にいいよられてどうしようもない思いをしている、こんな思いは母がいたころはしたことがありません。)

・「世の母をみなわが母と思いつもわれにひとりの母ありませば。吉川英治」
・「お母さんと呼んで見し用もなけれど。吉川英治」

・「 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天にきこゆる。斎藤茂吉」
観音様は慈母観音とか悲母観音といわれて人々の信仰を受けてきました。母が観音様なのか、観音様が母なのか・・・。)
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