以前湯島界隈で新渡戸稲造の湯島天神祈願の掲示板に出会いました。
文京区作成の旧湯島三組町の町名紹介掲示板でそこには「新渡戸は、数えの9歳で叔父の養子となり上京、翌年旧南部藩の脇慣義塾(三組町105番地)に寄宿した。近くの湯島天神に兄の病気の全快を祈って水垢離をとった。けなげな稲造を見て神官が声を掛け、説教会に呼んだ。『自分自身が光明で自分の信ずる道を進め』という教えは、一生の指針となった。」とあります。
ルーズベルトにも影響を与え日露戦争を有利に運び日本を守った著書「武士道」はこのときの湯島天神のお導きで書かれたのかもしれません。
この掲示板の記述の典拠は新渡戸の自伝「幼き日の思い出」だろうと思います。そこには「・・1873年から74年にかけての冬、たまたま次兄道郎が病気ばかりしていた・・私は兄の病気が癒えるまで毎朝6時に社の井戸で斎戒沐浴を行おうと自分に誓った。・・ところが数日してたまたま一人の神官が朝の散歩で井戸の方へふらふらとやってきた、・・私は感情に動かされやすかったが決して狂信的ではなかった。また私の家では宗教的な儀式は殆どおこなわれなかった・・父は懐疑論者で母の信仰といえばご先祖を祀ることにあったと思う。いかにも残念なことである。・・・くだんの神官は‥神社で講じられていた説教に私を招いてくれた。あの精神的に不毛の時代に、これは緑のオアシスであった。人間は誰しも皆自分自身の光であって、またそうあらしめる能力もあるのだ、という講義に私は特に啓発された。さらにもい自分自身光を辱めぬように暮らせば何事も自在にできる(という教えであった)。・・」とありました。
この湯島天神における講義の影響は「武士道」のなかに「・・・人の心の本来善にして神の如くなる清浄なるを信じ神託の宣べらるべき至誠所としてこれを崇め貴ぶ・・」とあるところなどに出ているようです。いずれにしろ湯島天神様の導きで「武士道」も書かれたとしか思えません。
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