第二章、第二、入真言門住真言品の名義
本経(大日経)の基礎をなすものは第一住心品である・・入真言門住真言品を訓読すれば「真言門に入って心に住す」と読むべきである。真言門に入るとは如来の三密門を修すること、即ち大日の神変加持力から示現した観音・普賢・阿弥陀等の曼荼羅の諸尊中の一尊の三密門を修するをいう。口に本尊のみ名を唱え、手に印をむすび、心を本尊の心地に住せしめれば・・如来の身心と感応道交の境に入るのである。・・かくて久しく練行すれば如来無量の功徳が身につき、凡身を改めずに如来の境地に入られる。人が遠方に行くとき、羊とか馬に乗れば長時間かかるが、もし神通の車に乗るならば発意と同時にそのところに行くことができる。・・神通の車にのるとは、真言三密行によって現身に如来の位に入るのをいう。
真言門に入って三密行を修する人は、速やかに自身の佛を開見するはずであるが、分別の念がある為心外に佛を見、或は唯心の佛を見してついに自心佛を体得するに至るのである。かく低いところから高いところへ至る住心の転昇に浅深重々あるから弘法大師はこれを開いて十住心の法門をあきらかにされた。
本経(大日経)の基礎をなすものは第一住心品である・・入真言門住真言品を訓読すれば「真言門に入って心に住す」と読むべきである。真言門に入るとは如来の三密門を修すること、即ち大日の神変加持力から示現した観音・普賢・阿弥陀等の曼荼羅の諸尊中の一尊の三密門を修するをいう。口に本尊のみ名を唱え、手に印をむすび、心を本尊の心地に住せしめれば・・如来の身心と感応道交の境に入るのである。・・かくて久しく練行すれば如来無量の功徳が身につき、凡身を改めずに如来の境地に入られる。人が遠方に行くとき、羊とか馬に乗れば長時間かかるが、もし神通の車に乗るならば発意と同時にそのところに行くことができる。・・神通の車にのるとは、真言三密行によって現身に如来の位に入るのをいう。
真言門に入って三密行を修する人は、速やかに自身の佛を開見するはずであるが、分別の念がある為心外に佛を見、或は唯心の佛を見してついに自心佛を体得するに至るのである。かく低いところから高いところへ至る住心の転昇に浅深重々あるから弘法大師はこれを開いて十住心の法門をあきらかにされた。