福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地獄の中で必死になってたたけば極楽への扉が開かれた。

2021-07-31 | 頂いた現実の霊験

昭和23年1月23日私は男の子を出産しました。丁度主人の42歳の厄落としに親戚一同集っていただいていた最中の午後1時半に生れました。はじめての男子出産に親族あげて喜んでくださりわたしたちも感謝で一杯でした。子供は和男となずけました。元気でよく母乳を飲み、毎日が楽しく希望に溢れていました。
ところがおみやまいりをすませ帰りに床に寝かせた時突然大声で泣き出しました。あまりなくので翌日鍼灸院につれていったところ「虫ですから通院をつずけるように」といわれました。しかし3ヶ月しても効き目がありません。色々な病院につれていきましたが最後に名古屋国立病院に主人と三人でいきました。よく栄養が行き届いているといわれ、薬を一週間分ずつもらい通院していましたがどうも先生の態度が冷たいように感じられたのです。そんなある日先生は突然「もう通院はしなくてよろしい」というのです。病名をおたずねすると「脳性小児麻痺です」とはじめて教えていただきました。わたしはおろおろと子供をおぶって病院を出ました。それからはおもいつかぎりのありとあらゆる病院にいきましたがついにもはや手の尽くしようのないことを知りました。

そんなときふと心に浮かんだのが父母の信仰していたお大師様です。もはやすべての希望を絶たれたと思っていたわたしにまだ残された道があった・・・と光明を見たおもいでした。

それからというもの知多新四国、特に岩屋観音様には毎月お参りしました。高野山の奥の院院にもお参りし、真夜中の奥の院で「何もいわない子供」と何度もお籠りをさせていただきました。夜中には身の毛もよだつおもいのすることもございましたが、不思議と夜明けにはどこからか生きる勇気が湧いてくるのでした。

また昭和38年3月には主人と和男に先達さんの四人で本四国をおまいりしました。それ以来地元の講「山水会」に入り22年間毎年お参りさせていただいております。昭和48年からの四国遍路ではお寺の本堂のコンクリの上で明け方まで修行をさせていただくこととしております。こうしていつのまにか四国遍路は私の年中行事になっていました。

一方和男は重度の障害で歩けません。食事も帯で縛り付けてスプーンで食べさせるのがわたしの仕事でした。そして10歳になった昭和33年に全寮制の養護学校に入学しました。入園後3ヶ月後に始めて面会が許されたときは和男は私を見て泣きました。わたしも声が出ずただ和男を抱きしめるだけでした。このときの事はいまでも思い出すと胸が一杯になります。それでも日時は過ぎ、学園を卒業すると和男は「ぼくはタイプしか生きる道がないからタイプを買ってほしい」といいます。購入すると早速自習でタイプ印刷が出来るようになりました。タイプ印刷やりますという看板も出しました。そのうち周囲の皆さんの好意で徐々に仕事も増えていきました。仕事ぶりも新聞にもたびたび乗せていただきました。

そのうち障害者の会を作り支部長として活動していましたが当然ある日「僕結婚するよ」と言い出しました。なにごとかと聞いてみるとボランチアできてくださっていた背のすらりとした笑顔のとっても可愛い地元大学生のお嬢さんと結婚するというのです。わたしは「重度障害者のお前にはお嫁さんに来てくれる人はない」といつもいいきかせていたので複雑な心境でした。相手のご両親も大反対でした。わたしのところにもたびたび「このご縁はなかったことに」とご両親から手紙が来ました。そして彼女が大学を卒業するとすぐご両親は東京の保育園に保母として連れて行ってしまいました。

ところが娘さんはそれから1年間東京の保育園で務めた後、またここ一宮に老人ホームの寮母として帰ってきたのです。そして私どもが思い余って和男の学園の先生に相談すると先生は二人の意思が固いことを確認し、「二人の結婚生活はとても難しいが二人の心がここまで固いのならばなにをいっても無駄です。ひきとめるとかえって後で後悔することになります。後はわたしが引き受けますから結婚させてやってください」とおっしゃいます。

大反対だった主人も「先生におまかせして結婚させます」といったそうです。というのもこの間私はお四国と高野山におまいりにいっておりその場にはいなかったのです。結婚式は昭和52年6月14日にあげました。この先生と友人6名、お嫁さんと其の弟さん、私どもの親戚達でささやかな、しかし心のこもったものでした。

その後、和男の印刷屋さんは新聞にも障害者の印刷屋としてたびたびとりあげられ繁盛しました。お嫁さんは二人の子供を保育園にいれ、和男の通訳として活躍しています。お客様との間の通訳をしてアルバイトの職人さんたちに次々と指示して働きまわるすがたはじつに美しいのです。どんなにいそがしくてもお客様には笑顔で応対します。こうした嫁をみるたびに嬉しい以上に感心させられます。
そうですこのお嫁さんは普通のおよめさんではないのです。四国は愛媛県の出身なのです。愛媛県というとわたしが何十回もお遍路をして回らせていただいた所、お大師さまの御膝下です。
私が30数年おすがりして来た御大師様が息子にご利益を与えてくださり、四国霊場の地、愛媛県からすばらしいお嫁さんをいただきました。ほんとうにありがたいことです。毎日手をあわせて感謝の穂日です。これからも息子夫婦は親子4人てをたずさえていきていくとおもいますが今まで以上にお大師様のお力をおあたえいただけますようお願いいたします。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『日本國に告ぐ』 | トップ | 善事で父親の足が治った話 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

頂いた現実の霊験」カテゴリの最新記事