福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

菩提心義・海運

2020-05-24 | 諸経


菩提心義・海運

菩提の心、成佛の本、發起の相、具には衆經にあり。大事の因縁は此れに過たるはなし。正しく覺を修せんと欲せば 知らずんばあるべからず。見聞する所に随って略して其の相を弁ず。菩提心の義は五門に分別す。一に名義を釋す。二に體性を識る。三に一異を辨ず。四に相状を明かす。五に行願を述ぶ。

初に名義を釋すとは、梵に云ふ菩提と。此に翻じて覺と名く。衆生の迷覆を名けて不覺と為す。今善友に遇ひて無明を開發して迷覆を省除す。
覺を求める心を菩提心と名く。菩提を求むるの心を發するを名て菩提心となす。依主釋(格限定複合語)也。若し悟を覺と名け、迷を不覺と爲すは、譬へば迷人は方に依るが故に迷ふが如し。衆生も爾るのみ。覺に依るが故に迷ふ。若し覺を離るれば則ち不覺なし。猶ほ是れ之を言へば、菩提と心とは二と爲すことを得ず。菩提と心、相違釋(並列複合語)也。

二に體性を釋すとは、義府に説くが如し。

三に一異を辨ずるとは、心と菩提と性二あることなし。無二に由るが故に分別すべからず。此れ理體無差別門に就くがゆえに。華嚴に云ふ、心の如く佛も亦た爾なり。佛の如く衆生も然なり。心・佛・衆生、是三無差
別(華厳経・唯心偈「心如工畫師 畫種種五陰 一切世界中 無法而不造 如心佛亦爾 如佛衆生然 心佛及衆生 是三無差別心」)。虚空藏經第四に亦た云はく、世尊は常に法無盡を演説したまふ。有情及び虚空と菩提心と佛法となり(大集大虚空藏菩薩所問經「世尊常演説 四種法無盡 有情及虚空 菩提心佛法」)。
若し進修起行願門に依らば、即ち妄心を發起し菩提を求むるが故に菩提心と名く。故に起信に云ふ、云何が熏習して淨法を起して斷ぜざる。所謂る眞如法に依るを以ての故に能く無明を熏習す。熏習の因縁力を以ての故に則ち妄心をして生死の苦を厭ひ、涅槃を樂求せしむ。妄心に厭求の因縁あるを以ての故に、即ち眞如に熏習す。(大乗起信論「云何が熏習が染法を起こして断ぜざるや。謂ふ所は眞如法に依るを以ての故に無明あり。無明といふ染法因あるを以ての故に即ち真如に熏習す。熏習するを以ての故に則ち妄心あり。妄心あるを以ての故に即ち無明に熏習し、真如法を了ぜざるが故に不覚の念おこりて、妄境界を現ず。」)自ら已性を信じ、心妄動にして前境界無しと知って遠離法を修し、如實に前境界無しと知るを以ての故に、種種の方便起隨順行を起こし、不取不念なり。乃至久遠熏習力の故に無明則ち滅す。無明滅するを以ての故に心に起ることなし。心に起無きが故に境界隨って滅す。因・縁倶に滅するが故に心相皆盡く、涅槃を得て自然業を成ずと名く等、此れ則ち妄を棄て眞を成し、妄心を發起して眞覺を起すことを求む。即ち眞妄異と為す也。
而るに實に眞を離れて妄は無し。妄體即ち眞なり。不覺は即ち本覺なるを以ての故に是れ異に非ざる也。

四に相状を明すとは、發菩提心の相状に二有り。一は行位相を明かし、二は功用相を辨ず。行位相状とは長耳三藏の云く、初の習種性の發心に三有り。一は假想發。二は輕想發。三は信想發。(長耳三藏は詳細不詳の訳経僧で円測撰『仁王経疏』に「長耳三蔵云、習種性前、有三想発心謂、仮想発、軽想発、信想発。」とあり。)
初の假想發とは三種力に由る。一は善友力、謂く善知識なり。二は行力、謂く律儀を受く。三は法力、通別二因あり。通は謂く、如來藏内熏の性。別は謂く信等五根。此の三力に由って假に求菩提の想を起こし、自利利他漸次に修習す。譬へば輕毛の倚著する所無きが如し。名て輕想發と。後に漸漸に修し信心澄淨して十住に入ることを得る、名て信想發と。(「仁王護國般若波羅蜜多經疏」に「初發心相者長耳三藏云。初習種性有三相發心。一假想發二輕想發三信想發。假想發者藉三種力。一善友力謂善知識。二者行力謂受律儀。三者法力通別二因。通謂如來藏別謂信等五根也。由此三力於佛菩提假起菩提想。以求自安諸有情。猶如聲聞觀諸非青假起青想而能伏惑。此中亦爾名假想
發。此後後想修習不已義尚難識。譬如輕毛
無所倚著名輕想發。此後後心信珠顯現名
信想發。」)
起信論に云、發心に三有り。「一は信成就發心。二は解脱發心。三は證發心」。初に信成就發心とは、謂く「不定聚衆生、熏習善根力有るが故に、業果報を信じて能く十善を起こし、生死の苦を厭ひ、無上菩提を欲求す」。乃至云ふ、「一萬劫を經て信心成就するが故に、諸佛菩薩教へて發心せしむ。或は大悲を以て能く自ら發心し、或は正法滅せんと欲するに因って護法因縁を以て能く自ら十住に發心得入す」。此れ則ち前の信想發心に同じ也。本業經に云ふ、是の信想菩薩は十千劫において十戒法を行じて、當に十信心に入り、初住位に入るべし(「菩薩瓔珞本業經大衆受學品第七」「是信想菩薩。於十千劫行十戒法。當入十住心。佛子。當先爲諸大衆受菩薩戒。然後爲説瓔珞經同見同行。爾時衆中有百億人。即從坐起受持佛戒。其名梵陀首王共無數天子修十戒滿足。入初住位」)。即ち發心住也。
仁王經に云ふ、習種性に十信有り。已に二乘の一切善地を超ゆ。(「仁王護國般若波羅蜜多經卷上・序品第一」「善男子初伏忍位。起習種性修十住行。
初發心相有恒河沙衆生。見佛法僧發於十
信。所謂信心念心。精進心慧心。定心不退心。
戒心願心。護法心迴向心。具此十心而能少
分化諸衆生。超過二乘一切善地。是爲菩薩
初長養心」)
起信に又た云ふ、何等の心を發すや。略説して三有り。一は直心。正しく眞如の法を念ずるが故に。二は
深心なり。一切諸善行を樂集するが故に。三は大悲心。一切衆生の苦を抜んと欲するが故に。(大乗起信論「復次に、信成就発心にては何等の心を発すや。略説せば三種あり。云何が三となす。一には直心。正しく真如の法を念ずるが故に。二には深心。楽しみて一切の諸の善行を集むるが故に。三には大悲心。一切衆生の苦を抜かんと欲するが故に。」)
乃至(大乗起信論に)云ふ、「菩薩是心を発するが故に則ち少分に法身を見ることを得る。法身を見るを以ての故に、其の願力に随って能く八種に衆生を利益するを現ず」等なり。二の「解行發心とは、當に知るべし、轉た勝れたり。是の菩薩は初正信より已來、第一阿僧祇劫において將に滿ぜんと欲するが故に、眞如法中において深解現前す。修する所は相を離れたればなり」。三の證發心とは、「淨心地より乃至菩薩の究竟地まで、何の境界をか證す。所謂る眞如なり」。乃至云く、「又是の菩薩の發心相とは、三種の心微細之相あり。一は眞心、無分別なるが故なり。二は方便心。自然に遍く衆生を利益するが故に。三は業識心。微細に起滅する故なり」。二は、功用の相を辨ぜば、維摩經に云ふ、佛身を得て一切衆生の病を斷ぜんと欲せば當に阿耨多羅三藐三菩提心を発すべし。(「維摩詰所説經・方便品第二」「諸仁者。欲得佛身斷一切衆生病者。當發阿耨多羅三藐三菩提心。」)華嚴の七十八に云ふ、菩提心とは、由ほ種子の如し。能く一切諸佛の法を生ずる故に。菩提心とは由ほし良田の如し。能く衆生の白淨法を長ずるが故に。菩提心とは由ほし大地の如し。能く一切諸世間を持するが故に。菩提心とは由ほし淨水の如し。能く一切の煩惱垢を洗ふが故に。菩提心とは由ほし大風の如し。普く世間において無所礙なるが故に。菩提心とは由ほし盛火の如し。能く一切諸見の薪を焼くが故に。菩提心とは由ほし淨日の如し。普く一切諸世間を照らすが故に。菩提心とは由ほし盛月の如し、諸の白淨の法、悉く圓滿するが故に。菩提心とは由ほし明燈の如し。能く種種の淨光明を放つが故に。菩提心とは由ほし淨目の如し。普く一切の安危處を見るが故に。菩提心とは由ほし大道の如し。普く大智城に得入せしむるが故に。菩提心とは由ほし正濟の如し。其をして諸邪法を離ることを得しむるが故に。乃至云く、善男子よ、若し阿耨多羅三藐三菩提心を發する者あらば則ち已に無量功徳を出生し普く能く一切智道を攝取す。善男子よ、譬へば人有りて無畏の藥を得れば五恐怖を離れるが如し。何等を五となす。所謂る、火不能燒・毒不能中・刀不能傷・水不能漂・煙不能熏なり。菩薩摩訶薩も亦復た如是なり。一切智菩提心藥を得れば貪火不燒・瞋毒不中・惑刀不傷・流ありて不漂・諸の覺觀の煙は熏害不能なり。善男子よ、譬ば人ありて解脱藥を得れば終に横難無きがごとし。菩薩摩訶薩も亦復た如是なり。菩提心の解脱智藥を得れば一切生死の横難を永離す。善男子よ、譬ば人ありて摩訶應伽藥を持すれば毒蛇氣を聞きて即ち皆な遠去するが如し。菩薩摩訶薩は亦復た如是なり。菩提心の大應伽藥を持すれば一切煩惱諸惡毒蛇、其の氣を聞く者、悉く皆な散滅す。
(以上は「大方廣佛華嚴經卷第七十八入法界品第三十九之十九」にあり)

第五に行願を明かすとは、顯揚(顯揚論)に云ふ、世俗の發心とは爲はく智者の前に対して弘誓の願を發し乃至云く、我今日より無上菩提心を發し諸有情を饒益せんと欲するが為の故に、今より已往、凡そ我が所修の六波羅蜜、皆な無上菩提を證得せんが為の故に、我今諸菩薩摩訶薩と和合出家す。願くは尊よ證知したまへ。我は是れ菩薩なり。(「顯揚聖教論卷第二」「世俗發心者。謂如有一隨智者前恭敬而住。起増上意發誓願言。長老憶念。或言聖者憶念。或言鄔波拕耶。我如是名。從今日始發阿耨多羅三藐三菩提心。爲欲饒益諸有情故。從今已往凡我所修布施持戒忍辱正勤靜慮及慧。一切皆爲證得阿耨多羅三藐三菩提故。我今與諸菩薩摩訶薩和合出家。願尊證知。我是菩薩。」)

毘盧遮那疏に云く、發菩提心とは謂く決定誓願を生じて一向に一切智智を志求して必ず當に普ねく法界衆生を度すべし。此の心、由ほし幢旗の如し。是れ衆行の導首なり。由ほし種子の如し。是れ萬徳の根本なり。若し此の心を發せざれば、亦た未だ歌羅羅に託せざるが如し。則ち大悲胎藏、何ぞ養育されん。(「大毘盧遮那成佛經疏・入漫荼羅具縁眞言品第二」「經云應發菩提心者。謂生決定誓願。一向志求一切智智。
必當普度法界衆生。此心猶如幢旗。是衆行
導首。猶如種子。是萬徳根本。若不發此心。亦
如未託歌羅羅。則大悲胎藏何所養育」)
又た云く、日を本淨の菩提心に喩ふ。即れ是ち毘盧遮那自體なり。月を菩提行に喩へ、白月十五日衆行圓滿するを成菩提に喩ふ。黒月十五日衆行皆な息むを般涅槃に喩ふ。中間・時と昇降するを方便善巧等に喩ふ。

發菩提心經に云く。「若し菩薩、善知識に親近し、諸佛を供養し、善根を修習し、勝法を志求し、心常に柔和に、苦に遭ひて能く忍び、慈悲淳厚、深心平等、大乘を信樂し、佛智慧を求む。若し人、能く如是の十法を具すれば、乃ち能く無上菩提之心を發す。復た四縁ありて能く是の心を發す。一は思惟諸佛。二は觀身過患。三は慈愍衆生。四は求最勝果。一の思惟諸佛とは三世の諸佛、初始發心に煩惱性を具したまふ事も亦た我今の如し。大明慧を発し、無明において勝心を建立し、苦行を積集して、生死海を度し、身命財を捨て、一切智を求め、今皆成就す。若し此の菩提が是れ可得の法ならば我も亦た應に得べきが故に菩提心を發す。
二に身の過患を観ずとは、自ら我身を觀ずるに、九孔常に臭穢を流し不淨なり。厭離を生ずるが故に。又五陰四大を観じ倶に能く無量惡業を興造して、貪瞋癡無量煩惱を具し、泡の如く、沫の如く、念念に無常なり。捨離を求めるが故に菩提心を発す。
三に慈愍衆生とは、諸衆生を見るに無明に縛せられ、衆苦に纒はれ、不善業を集め、大劇苦を受け、正法を捨離し、邪道を信受し、煩惱の河に没し、解脱を求めず、衆惡を轉造す。彼を愍念するが故に菩提心を發す。
四に最勝果を求むるとは、諸如來を見たてまつるに相好莊嚴、戒定慧知見清淨十力無畏大悲三念あり。一切智を具し、衆生を憐愍し、常住法身清淨無染なり。修習するが為の故に菩提心を発す」(以上・發菩提心經)。又云ふ、發菩提心とは、先ず當に堅固に正願を発すべし。所謂る四弘誓等なり。立志堅強にして大要誓を作し、常に正行を修す。所謂る六波羅蜜等なり。故に此の佛刹經中に、虚空王、誓を立てて云く、大衆前に對して我、菩提心を發し、誓って諸群生を度し皆な衆苦を離れしめん。願くは今より已後、若し我れ染汚瞋恚嫉妬心並に我慢貪愛あらば、是れ十方及現在諸佛を欺誑するなり。乃至云ふ、斯の誠實言によって地は六種に動き、我れ若し不實語ならば、四大互に遷易せん等。
又た發菩提心經に云く、決定の誓を立つるに、五事持つことあるが故に。一は能く其の心を堅固にす。二は能く煩惱を制伏す。三は能く放逸を遮す。四は能く五蓋を破す。五は能く勤めて六波羅蜜等を修行す。(「發菩提心經論・願誓品第三」「菩薩發心先建至誠立決定誓。立誓之人終不放逸懈怠慢緩。何以故。立決定誓。有五事持故。一者能堅固其心。二者能制伏煩惱。三者能遮放逸。四者能破五蓋。五者能勤修行六波羅蜜」)

若し如是に誓願を具して堅固勇猛にして施・戒・忍・進・定・慧・慈悲・喜捨を修して退轉あることなくば、是を眞に菩提心を発すると名くる也。
維摩經に云く、阿耨多羅三藐三菩提心を発するとは、是れ即ち出家、是れ即ち具足也。(「維摩詰所説經・弟子品第三」「維摩詰言。然汝等便發阿耨多羅三藐三菩提心是即出家。是即具足」)
菩提心義
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