第三章 さとりの心
第三節 とらわれを離れて
二、それなら人々はみなこの仏性を備えているのに、どうして貴賎・貧富という差別があり、殺したり、欺かれたりするような厭わしい事がおこるのであろうか。
例えば宮廷に仕える一人の力士が、眉間に小さな金剛の珠玉を飾ったまま相撲をとり、その額を打ち、珠が膚の中に隠れてできものができた。力士は珠をなくしたと思い、ただそのできものを治すために医師に頼む。医師は一目見てそのできものが膚の中に隠れた珠のせいであると知り、それをとりだして力士に見せた。
人々の仏性も、煩悩の塵に隠れ、見失われているが、善き師によって再びみいだされるものである。
このように仏性はあっても貪りと瞋りと愚かさのために覆われ、業と報とに縛られて、それぞれ迷いの境地を受けるのである。しかし、仏性は実際には失われても、破壊されてもおらず、迷いを取り除けば再び見出されるのである。
たとえの中の力士が、医師によってとりだされたその球を見たように、人々も仏の光によって仏性をみることであろう。
第三節 とらわれを離れて
二、それなら人々はみなこの仏性を備えているのに、どうして貴賎・貧富という差別があり、殺したり、欺かれたりするような厭わしい事がおこるのであろうか。
例えば宮廷に仕える一人の力士が、眉間に小さな金剛の珠玉を飾ったまま相撲をとり、その額を打ち、珠が膚の中に隠れてできものができた。力士は珠をなくしたと思い、ただそのできものを治すために医師に頼む。医師は一目見てそのできものが膚の中に隠れた珠のせいであると知り、それをとりだして力士に見せた。
人々の仏性も、煩悩の塵に隠れ、見失われているが、善き師によって再びみいだされるものである。
このように仏性はあっても貪りと瞋りと愚かさのために覆われ、業と報とに縛られて、それぞれ迷いの境地を受けるのである。しかし、仏性は実際には失われても、破壊されてもおらず、迷いを取り除けば再び見出されるのである。
たとえの中の力士が、医師によってとりだされたその球を見たように、人々も仏の光によって仏性をみることであろう。