『釈迦に学べということ』梅原猛(大法輪17.10)から
「・・・研究を続けて60年、80歳を超えてようやく仏教が分かりはじめた気がする。・・『キリストに学べ』ということがキリスト教徒の間でよくいわれる。仏教では『釈迦に学べ』ということが大切であろう。釈迦に学べということはお釈迦様の真似をせよということである。お釈迦様は四諦八正道を説かれた。・・・お釈迦様が四諦と共に説かれた十二因縁にはいろいろな解釈があるが、・・・愛執の根はけっして一代限りのものではなく、無限の過去にさかのぼる容易に免れ難い業の結果である。食を求め、名を求め、妻を愛し、子を愛するのは無限の過去にさかのぼる人間としてあるいは生物としての業の結果なのである。そのような業の結果である愛執を完全に滅ぼして仏すなわち如来になるのはまことに難しいことであろう。
とすればその候補者としての菩薩になろうとするのが大乗仏教の精神ではなかろうか。(・・しかし)菩薩もまた仏なのである。大般若経という般若の教えをまとめた大経典は結局菩薩という仏になる道を説いた経典であり、そこから真言の即身成仏や自己が覚りをひらく禅宗の教えがでてくる。そして・・日蓮は末世の日本人も地湧の菩薩として『法華経』の布教に大きな役割を果たすことができると説く。親鸞は口称念仏で極楽往生できると信じる人は等正覚の位、弥勒菩薩と同じ位に上がっているという。
最近私の頭に浮かんだ言葉は「仏教とは仏になることとみつけたり」というものである。
・・・仏教は十善戒の第一に「不殺生」を説く。それはすべての生きとし生けるものを殺す事なかれというものである。・・弱肉強食が生物界の現実であることは否定できない。・・たとえ山に入り植物のみを食べて命をつないでも生物の命を全く奪わない生活を送ることは無理であろう。
このように仏教の戒律をまもって仏になることは甚だ困難であるが、しかし、このような理想を掲げないと人類の生存は危なくなってきている。・・・現代文明の豊かさの背後にはは無数の生物の死がある。生きとし生けるものを殺してはならないという戒律なしに環境問題を解決し、人類の末永い繁栄を考えることは難しいであろう。
仏になることは大変難しいが、この教えを一人でも多くの人間に普及しないことには人類破滅の道をまぬかれることは困難と思っている。」
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