最近の諸現象を見るにつけても、先祖供養の大切さを思い知らされますが、先祖供養は個々人が行わなければ個々人への道筋はつきません。長男がすればよい、とか父母がすればよい、とかいうものではありません。
今は田植えの季節ですが昔田植えのために田に水を引いたことを思い出します。自分の田には自分で畔に道筋をつけて水をひいてこなければいくら近くに水が豊かに流れていても水は自分の田には入ってくれませんでした。
此れと同じでいくら長男が先祖供養をしていても、親が先祖供養をしていても自分のところにまわってくるとしても僅かです。自らの田には自ら先祖供養をして先祖の徳が流れ込んでくる道筋をつけるほかありません。