今、世界の宗教は 8
フィリピンの民の情念を映すカトリック
荒木 重雄
この日は、天国の扉が開いて、死者たちの霊が地上を徘徊し、故郷や家に戻ってくる。人びとは早朝、墓地に行って、草を刈り墓石を洗い清め、午後には墓地でミサが催され、司祭は、依頼された墓の前で死者の霊に祝別をする。普段は離れて暮らしている人たちも帰省して家族揃って墓参りに出かけ、墓のまわりでご馳走を広げて団欒する。
この情景から「ミサ」や「司祭」の言葉を少し替えればそのまま私たちが馴染んだお盆の情景になる。じつはこれは、カトリック教会暦の11月1日・万聖節、2日・万霊節のフィリピン版、ウンドラス(死者の霊の日)の情景である。
◇◇土着化したカトリック
16世紀半ば以来、19世紀末にアメリカに統治権が譲渡されるまで、300年余りに亙ってスペインに植民地支配されたフィリピンでは、人口の85%がカトリック教徒である。しかし、カトリックはいわゆる普遍宗教のなかでも組織・教義・儀礼とも世界規模でもっとも整備・統一された宗教であるにもかかわらず、さきの一例にもみるようにフィリピンのカトリックはいささか風変わりである。ラテン・アメリカと並んでこの土着性の強いカトリックは「フォーク・カトリシズム」とよばれている。
フィリピンのカトリックが独特な要因のひとつは、それが、東南アジアに特有の精霊信仰の世界観のうえに成り立っていることである。たとえば、フィリピン各地にはサマハンとよばれるカトリックの信徒組織(講)がある。ところがこれはシャーマン(巫者)を中心に結成されているのである。シャーマンは多くの場合、女性で、憑く霊もカトリックの国だけあって、聖母マリアや聖リタの霊となる。とりわけサント・ニーニョ(幼きイエズス)の霊の人気が高い。
サマハンの集会は、普通の民家の礼拝所で催される。信徒がギターの伴奏でサント・ニーニョに捧げる歌をうたうなか、シャーマンの女性が突如、神がかりになり、サント・ニーニョの霊の言葉を語りだすのである。
サント・ニーニョの霊は、信仰や信徒の務め、終末の日の予言など、聖なるメッセージを伝えた後、信者の個人的な問題や悩みの相談にのり、豊かな実りがあるよう稲の苗に祝別し、さらに病気治しも行う。治療は、患者に取り憑いた霊との対話から原因をつきとめ、患者に触れたり、息を吹きかけたり、呪文を唱えたりして、悪霊なら追い出してやり、善霊が懲らしめのために憑いているならなだめてやる。
やがてサント・ニーニョの霊は次にくる日を約して去る。シャーマンの女性はばったり倒れ、信徒の女性たちの介護を受けて常態に戻る。
イエズスの霊が巫者に宿るなど、正統的なカトリックからみれば到底容認できないところであろう。しかし多くの人びとがこのサマハンの活動によって救いを得、カトリックの信仰に結ばれているのである。
◇◇歴史を映す受難への感情移入
「聖像コンプレックス」といわれるほどの聖像にたいする思い入れも、フィリピンの特異性のひとつである。聖金曜日や復活祭、フィエスタとよばれる町の守護聖人の祭りには、等身大の「十字架上のキリスト像」や聖母マリア像、聖ペテロ像、聖ベロニカ像などの聖像が、山車に載せられ、楽隊の伴奏つきで華やかに町中をパレードする。これらの聖像は、普段は、裕福な信徒の家の寝室などに安置され、家族の一員のように丁重に扱われている。これも、カトリック布教以前の信仰体系にあった、人びとの願いを叶える精霊の役割が、カトリックの諸聖人に引き継がれ、その聖像に移されたものと考えられている。
フィリピンのカトリックのもうひとつの特徴は、キリストが「幼きイエズス」か、十字架上で受難の死を遂げるキリストという形で受け容れられていて、福音を宣べ伝える説教者キリストのイメージがほとんど欠落し、とりわけ受難への感情移入が強烈なことである。
年中行事のなかでももっとも盛大、かつ心を込めて行われるのが、ここでは、キリストの受難と死に思いを馳せる復活祭前6週間半の四旬節である。四旬節の間、信徒たちは仲間の家に集まって、パションとよばれるキリストの受難物語を、独特の節回しで夜を徹して詠唱する。
同じ時期、セナクロ(受難劇)の上演も盛んである。これはパションをもとにイエズスの受難を歌劇として再現するもので、町の人たちがそれぞれの役に扮して演ずるほか、旅回りの専門劇団もあり、テレビでも豪華なセナクロが放映される。
そしていよいよ聖金曜日。町にはペニテンテと呼ばれる、裸の背や手足をナイフや尖った竹片・貝殻などで自ら傷つけ血を流しながら歩く男たちが現れる。痛みからキリストの受難を追体験しようとするのである。教会では、扉を閉ざし電灯を消した暗い堂内でキリストの「最後の七つの言葉」の朗唱がはじまる。7人の男が順番に十字架上のキリスト像の前に立って、イエズスの最後の言葉と付随する祈りを捧げる。朗唱者は感情の昂ぶりで涙声になる。朗唱に合わせてドラムが響き、最後の朗唱が終わると、十字架上のキリストのそこだけスポットライトが当てられた顔の部分が、うなだれるように傾く。会衆は興奮のあまり泣きだし卒倒するものもあらわれる。聖像の行列が市街に繰り出される。
キリストの受難に民族の苦難の歴史を重ねているとみるのは筆者の憶測に過ぎないだろうか。ともあれ、教義や組織だけでなく民衆の情念からみるとき、宗教はまた別の側面をみせるのである。
フィリピンの民の情念を映すカトリック
荒木 重雄
この日は、天国の扉が開いて、死者たちの霊が地上を徘徊し、故郷や家に戻ってくる。人びとは早朝、墓地に行って、草を刈り墓石を洗い清め、午後には墓地でミサが催され、司祭は、依頼された墓の前で死者の霊に祝別をする。普段は離れて暮らしている人たちも帰省して家族揃って墓参りに出かけ、墓のまわりでご馳走を広げて団欒する。
この情景から「ミサ」や「司祭」の言葉を少し替えればそのまま私たちが馴染んだお盆の情景になる。じつはこれは、カトリック教会暦の11月1日・万聖節、2日・万霊節のフィリピン版、ウンドラス(死者の霊の日)の情景である。
◇◇土着化したカトリック
16世紀半ば以来、19世紀末にアメリカに統治権が譲渡されるまで、300年余りに亙ってスペインに植民地支配されたフィリピンでは、人口の85%がカトリック教徒である。しかし、カトリックはいわゆる普遍宗教のなかでも組織・教義・儀礼とも世界規模でもっとも整備・統一された宗教であるにもかかわらず、さきの一例にもみるようにフィリピンのカトリックはいささか風変わりである。ラテン・アメリカと並んでこの土着性の強いカトリックは「フォーク・カトリシズム」とよばれている。
フィリピンのカトリックが独特な要因のひとつは、それが、東南アジアに特有の精霊信仰の世界観のうえに成り立っていることである。たとえば、フィリピン各地にはサマハンとよばれるカトリックの信徒組織(講)がある。ところがこれはシャーマン(巫者)を中心に結成されているのである。シャーマンは多くの場合、女性で、憑く霊もカトリックの国だけあって、聖母マリアや聖リタの霊となる。とりわけサント・ニーニョ(幼きイエズス)の霊の人気が高い。
サマハンの集会は、普通の民家の礼拝所で催される。信徒がギターの伴奏でサント・ニーニョに捧げる歌をうたうなか、シャーマンの女性が突如、神がかりになり、サント・ニーニョの霊の言葉を語りだすのである。
サント・ニーニョの霊は、信仰や信徒の務め、終末の日の予言など、聖なるメッセージを伝えた後、信者の個人的な問題や悩みの相談にのり、豊かな実りがあるよう稲の苗に祝別し、さらに病気治しも行う。治療は、患者に取り憑いた霊との対話から原因をつきとめ、患者に触れたり、息を吹きかけたり、呪文を唱えたりして、悪霊なら追い出してやり、善霊が懲らしめのために憑いているならなだめてやる。
やがてサント・ニーニョの霊は次にくる日を約して去る。シャーマンの女性はばったり倒れ、信徒の女性たちの介護を受けて常態に戻る。
イエズスの霊が巫者に宿るなど、正統的なカトリックからみれば到底容認できないところであろう。しかし多くの人びとがこのサマハンの活動によって救いを得、カトリックの信仰に結ばれているのである。
◇◇歴史を映す受難への感情移入
「聖像コンプレックス」といわれるほどの聖像にたいする思い入れも、フィリピンの特異性のひとつである。聖金曜日や復活祭、フィエスタとよばれる町の守護聖人の祭りには、等身大の「十字架上のキリスト像」や聖母マリア像、聖ペテロ像、聖ベロニカ像などの聖像が、山車に載せられ、楽隊の伴奏つきで華やかに町中をパレードする。これらの聖像は、普段は、裕福な信徒の家の寝室などに安置され、家族の一員のように丁重に扱われている。これも、カトリック布教以前の信仰体系にあった、人びとの願いを叶える精霊の役割が、カトリックの諸聖人に引き継がれ、その聖像に移されたものと考えられている。
フィリピンのカトリックのもうひとつの特徴は、キリストが「幼きイエズス」か、十字架上で受難の死を遂げるキリストという形で受け容れられていて、福音を宣べ伝える説教者キリストのイメージがほとんど欠落し、とりわけ受難への感情移入が強烈なことである。
年中行事のなかでももっとも盛大、かつ心を込めて行われるのが、ここでは、キリストの受難と死に思いを馳せる復活祭前6週間半の四旬節である。四旬節の間、信徒たちは仲間の家に集まって、パションとよばれるキリストの受難物語を、独特の節回しで夜を徹して詠唱する。
同じ時期、セナクロ(受難劇)の上演も盛んである。これはパションをもとにイエズスの受難を歌劇として再現するもので、町の人たちがそれぞれの役に扮して演ずるほか、旅回りの専門劇団もあり、テレビでも豪華なセナクロが放映される。
そしていよいよ聖金曜日。町にはペニテンテと呼ばれる、裸の背や手足をナイフや尖った竹片・貝殻などで自ら傷つけ血を流しながら歩く男たちが現れる。痛みからキリストの受難を追体験しようとするのである。教会では、扉を閉ざし電灯を消した暗い堂内でキリストの「最後の七つの言葉」の朗唱がはじまる。7人の男が順番に十字架上のキリスト像の前に立って、イエズスの最後の言葉と付随する祈りを捧げる。朗唱者は感情の昂ぶりで涙声になる。朗唱に合わせてドラムが響き、最後の朗唱が終わると、十字架上のキリストのそこだけスポットライトが当てられた顔の部分が、うなだれるように傾く。会衆は興奮のあまり泣きだし卒倒するものもあらわれる。聖像の行列が市街に繰り出される。
キリストの受難に民族の苦難の歴史を重ねているとみるのは筆者の憶測に過ぎないだろうか。ともあれ、教義や組織だけでなく民衆の情念からみるとき、宗教はまた別の側面をみせるのである。