人を育てるのが大切というが、具体的にはどうするのか?
1、「一年の計は穀を樹うるに如くは莫く、十年の計は木を樹うるに如くは莫く、終身の計は人を樹うるに如くは莫し。 一樹一穫なる者は穀なり、一樹十穫なる者は木なり、一樹百穫なる者は人なり。(管子)」というのは有名な句です。
2、ではその「人を育てる」にはどうするのか?この回答は御大師様が「綜芸種智院式」で示しておられます。すなわち儒仏道に立脚した真俗両分野にわたる総合学です。
「・・・肆に綜芸種智院を建て、普く三教を蔵めて諸の能者を招く。
冀ふところは三曜炳著(儒仏道ともにあきらかに)にして昏夜を迷衢に照らし、五乗鑣を竝べて群鹿を覚苑に駆らん。・・・物の興廃は必ず人に由り、人の昇沈は定んで道に在り。
・・・経(大日経)に云く、『初に阿闍梨は衆芸を兼ね綜ぶ』と。
論(十地論)に曰く、『菩薩は菩提を成ぜんが為に、先ず五明の処に於いて法を求む』と。この故に善財童子は百十の城を巡って五十の師を尋ね、常啼菩薩は常に一の市に哭して切に深法を求む。しかれば法を求むることは必ず衆師の中にす。道を學することは當に衣食の資に在るべし。四のものは備わってしかるのちに功あり。この故にこの四縁(処・法・師・資)を設けて群生を利濟す。處有り、法有りというといえども若し師なくんば解を得るに由なし。故に先ず師を請ず。師に二種あり。一は道、二は俗。道は佛教を傳ふる所以なり。俗は外書を弘むる所以なり。真俗離れざることは我が師の雅言なり。」(大師の「綜芸種智院式」)。
1、「一年の計は穀を樹うるに如くは莫く、十年の計は木を樹うるに如くは莫く、終身の計は人を樹うるに如くは莫し。 一樹一穫なる者は穀なり、一樹十穫なる者は木なり、一樹百穫なる者は人なり。(管子)」というのは有名な句です。
2、ではその「人を育てる」にはどうするのか?この回答は御大師様が「綜芸種智院式」で示しておられます。すなわち儒仏道に立脚した真俗両分野にわたる総合学です。
「・・・肆に綜芸種智院を建て、普く三教を蔵めて諸の能者を招く。
冀ふところは三曜炳著(儒仏道ともにあきらかに)にして昏夜を迷衢に照らし、五乗鑣を竝べて群鹿を覚苑に駆らん。・・・物の興廃は必ず人に由り、人の昇沈は定んで道に在り。
・・・経(大日経)に云く、『初に阿闍梨は衆芸を兼ね綜ぶ』と。
論(十地論)に曰く、『菩薩は菩提を成ぜんが為に、先ず五明の処に於いて法を求む』と。この故に善財童子は百十の城を巡って五十の師を尋ね、常啼菩薩は常に一の市に哭して切に深法を求む。しかれば法を求むることは必ず衆師の中にす。道を學することは當に衣食の資に在るべし。四のものは備わってしかるのちに功あり。この故にこの四縁(処・法・師・資)を設けて群生を利濟す。處有り、法有りというといえども若し師なくんば解を得るに由なし。故に先ず師を請ず。師に二種あり。一は道、二は俗。道は佛教を傳ふる所以なり。俗は外書を弘むる所以なり。真俗離れざることは我が師の雅言なり。」(大師の「綜芸種智院式」)。