原文「この三摩地門は、仏、鷲峯山に在して、鶖子等の為に之を説きたまえり。(このさんまじもんな、ほとけ、じゅぶせんにいまして、じゅしとうのためにこれをときたまえり。
この経に、数の翻訳あり。
第一に、羅什三蔵の訳、(このきょうに、あまたのほんやくあり。だいいちにらじゅうさんぞうのやく、)今の所説の本、是なり。(いまのしょせつのほん、これなり。)
つぎに、唐の遍覚三蔵の翻(ほん)には、題に「佛説摩訶」の四字(しじ)なし。「五蘊」(ごうん)の下に「等」の字を加え、「遠離」の下に「一切」の字を除く。陀羅尼の後(のち)に功能無し。
次に、大周の義浄三蔵の本(ほん)には、題に「摩訶」の字を省き、真言の後に功能を加えたり。
また法月、及び般若両三蔵の翻には、並びに序分・流通有り。(またほうがつ、およびはんにゃりょうさんぞうのほんには、ならびにじょぶん・るずうあり。)
また、『陀羅尼集経』第三の巻に、この真言法を説けり。(また、だらにじっきょうだいさんのまきに、このしんごんほうをとけり。)経の題、羅什と同じ。(きょうのだい、らじゅとおなじ。)
訳・・・この般若心経の三昧地(文殊・般若両菩薩の教えの心髄)は大日如来が変化した釈尊が霊鷲山において舎利子等のために説かれたものである。(顕教のように、お経にある観自在菩薩そのままが説法主とはとらないで、密教では観自在菩薩を普通名詞とし、大日如来がお釈迦様に変化して説かれたとする)
この般若心経には多くの翻訳がある。
第一に羅什三蔵の訳であるが、これをもとにして今説こうとしている。(羅什三蔵とは鳩摩羅什のこと。344年 - 413年。のちの玄奘と共に二大訳聖と言われ三論宗・成実宗の基礎を築く。)
第二に、遍覚三蔵(玄奘三蔵)の翻訳、これには題に「佛説摩訶」の四字なく「五蘊」の下に「等」の字を加え、「遠離」の下に「一切」の字を除く。陀羅尼の後に功能を記して無い。
第三に、大周という唐の時代の義浄三蔵の翻訳には、題に「摩訶」の字を省き、真言の後に功能を加えている。(義浄(635~713)は唐の僧。671年に広州から海路でインドに赴き玄奘と同じく、ナーランダー僧院で学び、仏典を収集、695年に海路で帰国、230巻の仏典を漢訳。 同時に旅行記『南海寄帰内法伝』を著す。義浄三蔵の翻訳による般若心経には「この経を呪せば十悪五逆九十五種の邪道を破す、若し十方諸仏を供養し十方諸仏の恩を報ぜんと欲わば当に観世音般若百辺千遍を誦すべし、無間昼夜にこの経を誦せば願いとして果たさざるということなし」という部分がある。)
第四に、法月、及び般若両三蔵の翻訳には、序分・流通分が有る。(法月三蔵は653-712.東天竺の僧、訳経のなかに「普遍智蔵般若波羅密多心経一巻がある。般若三蔵は734-810.印度北部の迦畢試国出身。大師は唐においてこの般若三蔵から受法し、新訳華厳四十巻、守護国界主陀羅尼経十巻、造塔延命功徳経一巻、梵夾三口等の付嘱を受け請来されています。)
また、『陀羅尼集経』第三の巻にはこの般若心経の密教修法を説いている。ここの題は羅什訳とおなじで仏説摩訶般若波羅密多心経である(しかし今の
陀羅尼集経第三にあるものは「般若波羅蜜多大心経」となっており大師の説とは異なる)
この経に、数の翻訳あり。
第一に、羅什三蔵の訳、(このきょうに、あまたのほんやくあり。だいいちにらじゅうさんぞうのやく、)今の所説の本、是なり。(いまのしょせつのほん、これなり。)
つぎに、唐の遍覚三蔵の翻(ほん)には、題に「佛説摩訶」の四字(しじ)なし。「五蘊」(ごうん)の下に「等」の字を加え、「遠離」の下に「一切」の字を除く。陀羅尼の後(のち)に功能無し。
次に、大周の義浄三蔵の本(ほん)には、題に「摩訶」の字を省き、真言の後に功能を加えたり。
また法月、及び般若両三蔵の翻には、並びに序分・流通有り。(またほうがつ、およびはんにゃりょうさんぞうのほんには、ならびにじょぶん・るずうあり。)
また、『陀羅尼集経』第三の巻に、この真言法を説けり。(また、だらにじっきょうだいさんのまきに、このしんごんほうをとけり。)経の題、羅什と同じ。(きょうのだい、らじゅとおなじ。)
訳・・・この般若心経の三昧地(文殊・般若両菩薩の教えの心髄)は大日如来が変化した釈尊が霊鷲山において舎利子等のために説かれたものである。(顕教のように、お経にある観自在菩薩そのままが説法主とはとらないで、密教では観自在菩薩を普通名詞とし、大日如来がお釈迦様に変化して説かれたとする)
この般若心経には多くの翻訳がある。
第一に羅什三蔵の訳であるが、これをもとにして今説こうとしている。(羅什三蔵とは鳩摩羅什のこと。344年 - 413年。のちの玄奘と共に二大訳聖と言われ三論宗・成実宗の基礎を築く。)
第二に、遍覚三蔵(玄奘三蔵)の翻訳、これには題に「佛説摩訶」の四字なく「五蘊」の下に「等」の字を加え、「遠離」の下に「一切」の字を除く。陀羅尼の後に功能を記して無い。
第三に、大周という唐の時代の義浄三蔵の翻訳には、題に「摩訶」の字を省き、真言の後に功能を加えている。(義浄(635~713)は唐の僧。671年に広州から海路でインドに赴き玄奘と同じく、ナーランダー僧院で学び、仏典を収集、695年に海路で帰国、230巻の仏典を漢訳。 同時に旅行記『南海寄帰内法伝』を著す。義浄三蔵の翻訳による般若心経には「この経を呪せば十悪五逆九十五種の邪道を破す、若し十方諸仏を供養し十方諸仏の恩を報ぜんと欲わば当に観世音般若百辺千遍を誦すべし、無間昼夜にこの経を誦せば願いとして果たさざるということなし」という部分がある。)
第四に、法月、及び般若両三蔵の翻訳には、序分・流通分が有る。(法月三蔵は653-712.東天竺の僧、訳経のなかに「普遍智蔵般若波羅密多心経一巻がある。般若三蔵は734-810.印度北部の迦畢試国出身。大師は唐においてこの般若三蔵から受法し、新訳華厳四十巻、守護国界主陀羅尼経十巻、造塔延命功徳経一巻、梵夾三口等の付嘱を受け請来されています。)
また、『陀羅尼集経』第三の巻にはこの般若心経の密教修法を説いている。ここの題は羅什訳とおなじで仏説摩訶般若波羅密多心経である(しかし今の
陀羅尼集経第三にあるものは「般若波羅蜜多大心経」となっており大師の説とは異なる)