福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

般若心経秘鍵(解説訳付)・・その13

2016-09-13 | お大師様のお言葉
原文
「「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」といっぱ、この題額に就いて二の別あり(ふたつのべったり)。梵漢(ぼんかん)別なるが故に。

今、「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」といっぱ、胡漢(こかん)、雑(まじえ)挙げたり。

「説心経」の三字は、漢名なり、余の九字は胡号(こごう)なり。
      
もし具(つぶさ)なる梵名ならば、ボダハシャマカハラジャハラミタカリダソタラン(梵字で)と曰うべし。

初めの二字は、円満覚者の名、
      
次の二字は、蜜蔵を開悟し、甘露を施すの称なり。
    
次の二字は、大・多・勝に就いて義を立つ。(だい・た・しょうについてぎをたつ)

次の二字は、常慧に約して名を樹つ。(じょうえにやくしてなをたつ)。

次の三は、所作巳弁に就いて号とす。(つぎのみつた、しょさいべんについてごうとす)
      
次の二は、処中に拠って義を表す。(つぎのふたつた、しょちゅうにとってぎをひょうす。)

次の二は、貫線摂持等を以て字を顕わす。(つぎのふたつた、かんせんしょうじとうをもってじをあらわす。

もし総の義を以って説かば、皆、人・法・喩を具す。( もしそうのぎをもってとかば、みな、じん・ぽう・ゆをぐす。)

是れ則ち、大般若波羅蜜多菩薩の名なり、即ち是れ人なり。

この菩薩に、法曼荼羅・真言三摩地門を具す。(このぼさつに、ほうまんだら・しんごんさんまじもんのぐす。)

一一の字は、即ち法なり。(いちいちのじは、すなわちほうなり)。

この一一の名は、皆世間の浅名を以て法性の深号を表わす。(このいちいちのなは、みなせけんのせんみょうをもってほつしょうのじんごうをあらわす。)
      
      
即ち是れ喩なり。(すなわちこれゆなり。)

訳・・『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』という題目には梵語と漢語の二種類の言葉が混ざっている。

「説」「心」「経」の三字は漢語であって、あとの九字は梵語である。

もしすべてを梵語でいうなら、「ボダ・ハシャ・マカ・ハラジャ・ハラミタ・カリダ・ソタラン(梵字で)」というべきである。


最初の二字「ボダ」(仏)は、覚者・目覚めた人の名前である。

次の二字「ハシャ」(説)は、秘密の蔵を開き、不死の妙薬をえるいみである。

次の二字「マカ」(摩訶)は、大・多・勝を表す。

次の二字「ハラジャ」(般若)は、瞑想によって得られる最高の叡智という意味である。

次の三字「ハラミッタ」(波羅蜜多)は、悟りの対岸に到達した、さとりを得たという意味である。

次に二字「カリダ」(心)は、ものごとの中心という意味。

次の二字「ソタラン」(経)は、経といい、貫いた線、集め持つなどの意味を持っている。


もし経題の全体的意味について説くならば、正しいお経の題名に備わっているべきとされる三つの要素すなわち「人(尊格」)、「法(さとりを表す文字)」、「喩(たとえ)」をすべて含んでいるというべきである。

この経題の「摩訶般若波羅蜜多」とは大般若菩薩の名であるから「人」である。

また、この大般若菩薩には、さとりを象徴する梵字の「法」曼荼羅がある。それら一つひとつの文字が、まさにさとりを表す文字である。


さらに経典の題名は世俗の文字を使ってはいるが、実は深い悟りの境地をあらわしていると受けとらなくてはならない。つまりこの点において「喩」である。

このように心経の題には「人」「法」「喩」がそろっているのである。      
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