福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「この經のわれらに受持讀誦せらるるは、經のわれらを接取するなり」

2017-09-17 | 法話
正法眼蔵・佛経に「・・この經のわれらに受持讀誦せらるるは、經のわれらを摂取するなり・・」とありました。「我々がお経を読むことができるのは、お経が我々をすくってやろうとされているからだ」、という意味です。これを見て、ハッとしました。これを演繹すれば我々が神社仏閣にお参りし、墓参りや先祖供養をするのは神仏や先祖がそのように呼びかけて下さっているからであり、巡礼するのは札所の仏様がわれわれを救ってやろうとお考えになって我々を招いてくださっているからとなります。何という有難い事でしょうか、こういう初歩的なことにも気が付かずお参りしていたのが恥ずかしくなりました。
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