史料綜覧 巻五 / 文永三年(1266)正月廿三日条
「廿三日・・・七仏薬師法ヲ後嵯峨上皇御所ニ修シテ 彗星ヲ禳フ」
天皇は亀山天皇。
七仏薬師法とは、七仏薬師を本尊として、延命・息災・安産などを祈る七壇の修法。
彗星は古今東西不吉とされてきました。
実際、文永三年にフビライは「大蒙古国皇帝奉書」を作成し日本へ使節の派遣を決定しています。文永五年に初めて日本へこの使節が派遣されます。
史料綜覧 巻五 / 文永三年(1266)正月廿三日条
「廿三日・・・七仏薬師法ヲ後嵯峨上皇御所ニ修シテ 彗星ヲ禳フ」
天皇は亀山天皇。
七仏薬師法とは、七仏薬師を本尊として、延命・息災・安産などを祈る七壇の修法。
彗星は古今東西不吉とされてきました。
実際、文永三年にフビライは「大蒙古国皇帝奉書」を作成し日本へ使節の派遣を決定しています。文永五年に初めて日本へこの使節が派遣されます。