原文
「二に、絶といっぱ、所謂、無戯論如来の三摩地門是れなり。(にに、ぜつといっぱ、いわゆる、むけろんにょらいのさんまじもんこれなり。
「是諸法空相」というより、「不増不滅」に至るまで是れなり。(「ぜしょほうくうそう」というより、「ふぞうふげん」にいたるまでこれなり。
「無戯論如来といっぱ、即ち文殊菩薩の密号なり。(むけろんにょらいといっぱ、すなわちもんじゅぼさつのみつごうなり。
文殊の利剣は、能く八不を揮って、かの妄執の心をを絶つ。(もんじゅのりけんな、よくはっぷをふるって、かのもうじゅうのしんをたつ。
この故に、以て名づく。
頌に曰く、
じゅにいわく、
八不に諸戯を絶つ
はっぷにしょけをたつ
文殊は是れかの人なり
もんじゅはこれかのにんなり
独空畢竟の理
どっくうひっきょうのり
義用最も幽真なり
ぎゆうもっともゆうしんなり
訳・・・
般若心経の第二章の分別諸乗分は中が「建」・「絶」・「相」・「二」・「一」に分かれるといったが、このうち第二の「絶」という部分は、無戯論如来即ち文殊菩薩の悟りの境地を説いている。
「是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」の部分がこれにあたる。
無戯論如来とは、文殊菩薩の密教における呼称である。(般若理趣釈に「一切無戯論如来とはこれ文殊菩薩の異名なり」とある)
文殊菩薩の右手に持つ鋭利な剣は、八不(生・滅、常・断、一・異、来・去)によって、我々のいずれか一方に偏した迷いを絶ち切る。
それゆえに、この部分を「絶」と名づける。
頌にいう
八不の剣をふるって、もろもろの迷いのもととなる戯論を絶ち切る
それを行うのは、まさに文殊菩薩である。(三論宗では高祖を文殊菩薩とし、馬鳴、竜樹(中論、十二門論)・・羅什と続く。日本では大師の師僧勤 操大徳は三論宗)
この教えは三論宗で説かれ、そこで説かれる「空」には「相対空」「絶対空」「独空」の三種の空があるが、迷いの世界の現実を否定するのが相対 空、これを超えるのが絶対空、これらを共に超越し言語表現を絶した本性自然の自性空が「独空」。この独空は究極の理というべきもので
この真理から生ずる慈悲と慈悲の働きはもっとも幽玄で真実である。空と慈悲とは「空悲不二」といわれ一つとされてきています。小乗仏教では空といえば虚無主義的となったが大乗では空に裏付られてこそ慈悲が出るといいます。賢首大師の般若波羅多心経略疏に「色即是空とみれば大智を観じ、空即是色とみれば大悲を観ず」とあります。
「二に、絶といっぱ、所謂、無戯論如来の三摩地門是れなり。(にに、ぜつといっぱ、いわゆる、むけろんにょらいのさんまじもんこれなり。
「是諸法空相」というより、「不増不滅」に至るまで是れなり。(「ぜしょほうくうそう」というより、「ふぞうふげん」にいたるまでこれなり。
「無戯論如来といっぱ、即ち文殊菩薩の密号なり。(むけろんにょらいといっぱ、すなわちもんじゅぼさつのみつごうなり。
文殊の利剣は、能く八不を揮って、かの妄執の心をを絶つ。(もんじゅのりけんな、よくはっぷをふるって、かのもうじゅうのしんをたつ。
この故に、以て名づく。
頌に曰く、
じゅにいわく、
八不に諸戯を絶つ
はっぷにしょけをたつ
文殊は是れかの人なり
もんじゅはこれかのにんなり
独空畢竟の理
どっくうひっきょうのり
義用最も幽真なり
ぎゆうもっともゆうしんなり
訳・・・
般若心経の第二章の分別諸乗分は中が「建」・「絶」・「相」・「二」・「一」に分かれるといったが、このうち第二の「絶」という部分は、無戯論如来即ち文殊菩薩の悟りの境地を説いている。
「是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」の部分がこれにあたる。
無戯論如来とは、文殊菩薩の密教における呼称である。(般若理趣釈に「一切無戯論如来とはこれ文殊菩薩の異名なり」とある)
文殊菩薩の右手に持つ鋭利な剣は、八不(生・滅、常・断、一・異、来・去)によって、我々のいずれか一方に偏した迷いを絶ち切る。
それゆえに、この部分を「絶」と名づける。
頌にいう
八不の剣をふるって、もろもろの迷いのもととなる戯論を絶ち切る
それを行うのは、まさに文殊菩薩である。(三論宗では高祖を文殊菩薩とし、馬鳴、竜樹(中論、十二門論)・・羅什と続く。日本では大師の師僧勤 操大徳は三論宗)
この教えは三論宗で説かれ、そこで説かれる「空」には「相対空」「絶対空」「独空」の三種の空があるが、迷いの世界の現実を否定するのが相対 空、これを超えるのが絶対空、これらを共に超越し言語表現を絶した本性自然の自性空が「独空」。この独空は究極の理というべきもので
この真理から生ずる慈悲と慈悲の働きはもっとも幽玄で真実である。空と慈悲とは「空悲不二」といわれ一つとされてきています。小乗仏教では空といえば虚無主義的となったが大乗では空に裏付られてこそ慈悲が出るといいます。賢首大師の般若波羅多心経略疏に「色即是空とみれば大智を観じ、空即是色とみれば大悲を観ず」とあります。