福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

昨日の天皇陛下のお誕生日に際してのお言葉に思いました。

2018-12-24 | おすすめ情報
昨日の天皇陛下のお誕生日に際してのお言葉に「我が国の戦後の平和と繁栄が,このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず・・」とありました。
まさに日本の歴史は苦難の歴史です。これを忘れるとき日本の本当の衰退が始まるとの陛下のお気持ではなかったかと推察します。

1、太平記巻四十 「蒙古日本を攻むる事 付けたり神戦のこと」には、「 異国より吾が朝を攻めしこと、開闢より以来すでに七箇度に及べり。」とあります。蒙古襲来までに已に7回も日本は異国の襲撃を受けているというのです。詳細は今後調べますが・・・。
2、蒙古襲来時の残虐。元寇の役に際しての残虐行為はここにあります。高麗の歴史書には、「入対馬島、撃殺甚衆」と、高麗軍が対馬で島民を皆殺しにしたとする記録が見られるし、生け捕りにされた女性は手のひらに穴が開けられ、ひもを通されると数珠つなぎにされ、日本の攻撃をかわす盾として船壁に並べられたという記述もあるようです。「八幡愚童訓」によれば、「弘安四年の夏頃、蒙古人、大唐・高麗以下の国々共の兵を駈り具して十萬七千余艘の大船に数千万人乗せ連れて来襲す。その中に高麗の五百艘は壱岐・対馬より上り、見るものをば打ち殺す。人民堪えかねて,妻子を引き具し深山に逃げ入るところに、赤子の泣き声を聞きつけても押し寄せければ片時の命も惜しければにや、偏愛する嬰児を我と泣く泣く害しけり。
 「世の中に最惜(いとおしき)ものは我が子なり、それに勝るは我が身なりけり」と詠じける。人のすさみぞ思いでらるる。」と当時の悲惨さが伝わってきます。
3、しかし何といっても太平洋戦争の悲惨さは筆舌に尽くしがたいものです。満州におけるソ連兵の日本人婦女子への残虐さ、不法極まるシベリヤ抑留、中国・朝鮮半島等よりの引き上げ者の筆舌に尽くしがたい受難は、https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwi37_TKy7ffAhWZ7GEKHe2WBCEQFjAAegQICRAB&url=https%3A%2F%2Fncode.syosetu.com%2Fn4357cw%2F99%2F&usg=AOvVaw0tRL5bNlzOc7CY2IWSaQu4
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=10&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwi37_TKy7ffAhWZ7GEKHe2WBCEQFjAJegQIBBAC&url=http%3A%2F%2Fwww.heiwakinen.jp%2Fshiryokan%2Fheiwa%2F01hikiage%2FH_01_118_1.pdf&usg=AOvVaw06qIvIEVkleW5F_5MWpj9U
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjvka-GzLffAhXWfd4KHbmKC18QFjAAegQICRAB&url=http%3A%2F%2Fdametv2.cocolog-nifty.com%2Fblog%2F2016%2F02%2F70-ec38.html&usg=AOvVaw2er5Gfu7w3ygCDfIOgfb3M
等にでています。
3、当然、戦争そのものも悲惨でした、https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=6&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjMka-xzLffAhXKP3AKHX0SBOoQFjAFegQIAhAB&url=https%3A%2F%2Fwww.sankei.com%2Fwest%2Fnews%2F140821%2Fwst1408210002-n1.html&usg=AOvVaw1oCFvFTOtC0B7essrZpt7h
等であきらかです。またこれでもかこれでもかという二度の原爆、長期間の大規模な無差別爆撃、沖縄の地上戦、児童引き上げ船への攻撃等等引用不能なほど多くの虐殺・残虐行為にあってきました。

4、この間自然災害にも苦しめられています。
1293年  4月13日、鎌倉大地震では関東一円に大地震が発生。死者は2万3千以上。
1498年 9月11日(明応7年8月25日) 明応地震(東海道沖の巨大地震) - M 8.2〜8.4、死者3万〜4万人以上
1896年 6月15日三陸沖大地震。岩手県三陸沖の海底でマグニチュード7.6の地震・津波で約2万7千人の死者。
1923年(大正12年) 9月1日11時58分頃 関東地震(大正関東地震、関東大震災)死者・行方不明者10万5,385人。
1995年(平成7年) 1月17日 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災、阪神大震災)死者・行方不明者6,437人。
2011年(平成23年)3月11日14時46分頃 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)。死者・行方不明者約2万2000人。

5、しかし何といっても悲惨なのは、世界歴史上最悪の原子炉爆発です。東日本大震災に伴い福島第一原発の四基が爆発し東京を含む東日本全体が廃墟となるところでした。

こういう日本の受難の歴史を日本人たるもの胸に刻んで次の時代に臨まなければまた同じ苦難の運命を繰り返すことになると
陛下のお言葉をお聞きしておもいました。日本人の古代からの受難の歴史館を造り常に日本人に警鐘を鳴らしていく必要もあると思いました。


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