福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験・・・その85

2018-12-24 | 四国八十八所の霊験
私たちは、過去より無尽の悪行善行を無数の「縁」に牽かれて作ってきたし、作りつつあります。
そして無数の「果」を生じそれぞれの苦や悩みを生じています。
大智度論巻二十八には「一人の一劫の中に畜生となるときは・・・その手首を載られ、その身首を斬らるるに是のごとき等の血はこの水よりも多し。
是の如くにして無辺の大劫の中に身を受け、血を流すとはあげて数ふべからず。
啼哭の流涙、及び母乳を飲むともまたこの如し。
一劫のなかの一人の積骨を計るに、ビフラ大山よりも過ぎたり。」とあります
。)(但一人一劫中作畜生時。屠割剝刺。或時犯罪截其手足。斬其身首。如是等血多於此水。如是無邊大劫中。受身出血不可.稱數。啼哭流淚及飲母乳亦如是。計一劫中一人積骨。過於鞞浮羅大山)

 しかし佛様を礼拝することにより佛様と感応道交でき、各人の千差万別の無尽の業(カルマ)と反応しながらではありますが、一つずつ願いは叶えられます。
 「歌入り観音経」という浪曲があります。
お金を落として自殺しようとした甚兵衛というお百姓が江戸の大盗賊木鼠の吉五郎にお金を恵まれ助けられました。恩返しに毎日仏壇の前で木鼠の吉五郎の無事を祈ったところ吉五郎はつかまっても毎回処刑寸前に執行不能となり、ついに放免されたという話です。

 私自身も多くの縁者(無縁霊はまた別に供養しています。行者は無縁霊も供養することになっているのです。)とその先祖を毎夕供養していますが、それぞれお蔭は戴いて平安に暮らしています。
他人が拝んでもお蔭があるのです。
お大師様の般若心経秘鍵に(般若心経を)「誦持講供すれば則ち、苦を抜き楽を与え、修習思惟すれば則ち道を得、通を起こす。」とあり、法華経陀羅尼品には「(お経を)受持し、読誦し、義を解(さと)り、説の如く修行せば、功徳はなはだ多し」とあります。
うつ病で何回も入退院を繰り返していた人も般若心経を写経し繰り返し唱えることで完全に回復しています。

  白隠禅師も「(延命十句観音経は)場所を選ばず、時節を嫌わず、馬上にても枕上にても、行住坐臥の間において、間断なく唯読み得るを貴しとする由」(辺鄙以知語)とかいています。そして読経は単に読むのでなく「我々の一念一念の中に未来際を尽くして説法を続けておられる佛の声を聞くこと」(玉城康四郎東大名誉教授)でありまた読経の瞬間は身は合掌し口はお経を唱え心は仏様を念じているのですから三業が三密に転化しており即身成仏しているともいえます。



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