阪神淡路大震災で二児をなくされた方の記事がありました。当時は自分も俗世の真っただ中で俗世の仕事を通じていささかは貢献したつもりでしたが、時間の経過とともに個人的にボランテアに行ってなかったことが大きな悔やみとなっていきました。そのため東日本大震災の時は一応一週間くらいでしかありませんが石巻でボランチアをすることができました。また遺体安置処などで読経もしてきました。最近でも台風被害のボランチアにも行けました。しかしいつも身もだえするようなやりきれなさを感じます。なぜこういう悲劇が繰り返し繰り返し起きるのか・・司馬遷ではありませんがまさに「天道是か非か・・・」と思わざるを得ません。
そしていつもやっと「代受苦の菩薩」という経典の言葉にたどり着き自分を納得させるのです。それでもやはりこころの奥底では完全に納得できてはいません。
神仏・諸菩薩・諸高僧はこうした不条理をご覧になり何とか助けてやろうと、世に出られて教えをとかれているのですがなぜそれにもかかわらず古来悲劇は続くのか・・。因果・三世・代受苦・・・いつもぐるぐる回りです。「生まれ変わり死に変わりして打つ田かな」という句がありましたがまさに「生まれ変わり死に変わりして解く因果」でしょうか。
そしていつもやっと「代受苦の菩薩」という経典の言葉にたどり着き自分を納得させるのです。それでもやはりこころの奥底では完全に納得できてはいません。
神仏・諸菩薩・諸高僧はこうした不条理をご覧になり何とか助けてやろうと、世に出られて教えをとかれているのですがなぜそれにもかかわらず古来悲劇は続くのか・・。因果・三世・代受苦・・・いつもぐるぐる回りです。「生まれ変わり死に変わりして打つ田かな」という句がありましたがまさに「生まれ変わり死に変わりして解く因果」でしょうか。