人生は不可解なことだらけです。「仏法のことは人間以上の智でなくてはわからぬ」という釈雲照師の御言葉がありますが「人生のことは人間以上の智でなくてはわからぬ」とも言い換えて考えるべきでしょう。
釈雲照「十善業道経講義」「仏法のことは人間以上の智でなくてはわからぬから疑わずにただ信ずるがよい。信心は仏法では第一で龍猛菩薩は仏法の大海は信を以て能入とする(「仏法の大海は、信を能入と為し、智を能度と為す。(大智度論)」)とおすすめくだされてある。根本は信心にある。この信心さえあれば仏法のありがたいところが益々身に沁々と生じてきて、ひとりでに身口意の三業の上に表れ、仏教を供養礼拝するようになる。。・・凡て仏法のことは唯だ研究して知ったというだけでは所詮がない。その知る上に今一つ実行する(体得すること)という行が大切なのでありますから諸君にもこの十善業道の実行を勧めます。実行して成仏の功徳荘厳を得られよ、これが拙老の最後の言葉として遺しておきます。」(釈雲照「十善業道経講義」)
これを書き換えると「「人生のことは人間以上の智でなくてはわからぬから疑わずにただ信ずるがよい。信心は仏法では第一で龍猛菩薩は仏法の大海は信を以て能入とする(「仏法の大海は、信を能入と為し、智を能度と為す。(大智度論)」)とおすすめくだされてある。人生の根本は信心にある。この信心さえあれば人生のありがたいところが益々身に沁々と生じてきて、ひとりでに身口意の三業の上に表れ、人生を礼拝するようになる。。・・凡て人生のことは唯だ研究して知ったというだけでは所詮がない。その知る上に今一つ人生を生き切るという行が大切なのでありますから諸君にもこの十善業道の実行を勧めます。実行して成仏の功徳荘厳を得られよ、これが拙老の最後の言葉として遺しておきます。」
荘子にも「古の真人は、生を説(よろこ)ぶことを知らず、死を悪(にく)むことを知らず。其の出づるに訴(よろこ)ばず、其の入るに距(こば)まず。翛然(ゆうぜん)として往き、翛然として来たるのみ。其の始まる所をしらず、其の終わる所を求めず、受けてこれを喜び、忘れてこれを復(かえ)す。」とあります。(荘子・大宗師篇)