「光明主義と今を生きる女性」という一文がありました。こちら
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・・我々がなぜ自他一如になれないかというと自我の観念に深く覆われているからです。今まで自分の外側に見ていた森羅万象が内も外も区別がなくみえるようになれば、すべてがこころにあるがままに映し出され、心は法界であるとわかります。これを大円鏡智・・ . . . 本文を読む
「田に苗を植えるのは稲を作るため、稲を作るのは米を得んが為。その米を得るのは人の命を保つため。人の命を保つのは霊性を発揮する為である。単に肉体を養うためではない。霊性を発揮しない人生なら牛馬に異ならない。そこに気付かずして米等の命を犠牲にしながらなお転倒の思いに住するならば即ち地獄道に落ちるであろう。」山崎弁栄上人 . . . 本文を読む
「例えば今日一日にたった一つの功徳を積むことが、一年で三百六十五個の功徳を積み上げることになります。『なにごとも根気よく、丁寧に、ぼちぼっと』これが長い長い修行を続ける秘訣です。人生の旅も一緒です。
修行でもまた人生においても、肉体的精神的苦痛を受けた時は誰でも辛いものです。そこでのりこえられるかどうかは天を衝くくらいの高い志があるかどうかによって決まります。その高い志が限界を持ち上げ時として不可 . . . 本文を読む
今日七日川崎大師に初詣に行ってきました。年末來風邪をひきお礼参りができなかったので風邪が回復して一か月ぶりのお参りです。ウイークデーですがやはりお参りの人が大勢で本堂はギュウギュウ詰めです。護摩の前に僧侶のかたが法話をされますが私も隣の人に触れないように輪袈裟をかけ正座して法話を聞きました。すると途中でなぜかしら涙が出て止まらなくなりました。法話の中身は覚えていません。理由もないのに涙が出て仕方が . . . 本文を読む
「自然の前に出れば実際には悲しいことがいろいろあっても、激しい喜悦がその人の全身を走る。自然が言う・・彼は私の生んだ子だ、見当違いな悲しみにあれこれ悩まされてはいるが、それでもきっと私の事を喜ぶはずだ。・・健康な時には空気は信じがたいほどの効力を備えた強壮剤だ。たそがれどき曇り空の下、雪でぬかるむ殺風景な広場をとおりぬけていると、とくに幸運なできごとを考えていたわけでもないのに、私はある種の完璧な . . . 本文を読む
善は実在です。悪は欠落に過ぎず、絶対的なものではありません。・・悪はすべて非存在です。善は絶対的で実在です。善意を備えている程度に応じていのちを備えていることになります。
この霊こそ萬物の生まれてくる共通の根源だからですが、名称は様々で、愛とか、正義とか、節制とか、そのさまざまな現れ方に応じて呼ばれています。・・
萬物は同じ霊から生じ、その霊と一致して萬物が働いています。立派な目的を追求している限 . . . 本文を読む
箱根駅伝は東洋大が総合優勝しました。インタビューでチームのモットーが『感謝』と云っていたのが印象に残りました。これはただのありきたりの言葉ではないと思います。2008年には東洋大の陸上部員が、電車内で痴漢をしたとして現行犯逮捕された事件がありましたが選手らは事件後、「走れることに感謝しよう」を合言葉にして励んだと云います。此の時の、「走れるだけで有難い」という思いは心の底から実感した言葉だと思いま . . . 本文を読む
年末年始風邪をひき、こじらせて十日以上寝込みました。
興正菩薩撰光明真言和讃には「・・八万十二の正法は 病にしたがふ薬にて
何れの救療あだならず・・」とあり、維摩居士は「衆生病むがゆえに我もまた病む」といいました。こういうふうに我々はもともと「迷者」という病人だとされていますが、その「迷いの病」の只中の自分がさらに重い風邪にかかってしまったのです。 何故風邪をこれほどひどくしたのか反省してみ . . . 本文を読む
高田竹鄰「日宝」
「一年三百六十五日その一日一日が白銀や黄金や玉にも替えがたき無価の宝である。新玉の年を迎へる毎に、われらは昼は日に光り、夜は星に輝く瑕なき霊宝を、三百六十五個の数を揃えて天から賜るのであるが、なさけなや私こそ真珠をあたえられた豚、小判の前の猫、「時」の価値を知らずして之を汚し、之を失うたこといかばかりであるか。わたしはさながら放蕩息子のように過去五十年すでに二万に近き「日の宝」を . . . 本文を読む