・・まず私たちは唯物的な宇宙観の誤りであることを知らなければなりません。宇宙は神秘なる実在の活動の場であること、肉体を起点とした個我はなくただ大我の活動のみあり、それが無尽無数の個体を通じて互いに交わりあい、ここに種々の社会活動が営まれているにすぎないのです。随って個人としては相当不自由なのが世の常であります。さらにまた個々人の前途には老病死の深淵があり、これも個人の立場からは思うに任せず自由にならないのが当然であります。
ただ真の自由はこれら小我の束縛より心が解放されるときに初めて成り立ち、真の平和はそのように解脱に志せる人たちによって良心的に構成された社会においてはじめて実現されます。
そのような社会を実現するには自らがまず神秘実在の中より生まれた仏の子であり、金剛薩埵であるとの自覚を持ち御仏の光に照らされることが第一であります。
その方法としては両手を合掌し、口に『南無大師遍照金剛』と唱え、こころに御仏を思えば、我が身口意はそのままみほとけと一体となります。この体験が積み重ねられるほど自らの生きる使命が心に判然として参ります・・。
ただ真の自由はこれら小我の束縛より心が解放されるときに初めて成り立ち、真の平和はそのように解脱に志せる人たちによって良心的に構成された社会においてはじめて実現されます。
そのような社会を実現するには自らがまず神秘実在の中より生まれた仏の子であり、金剛薩埵であるとの自覚を持ち御仏の光に照らされることが第一であります。
その方法としては両手を合掌し、口に『南無大師遍照金剛』と唱え、こころに御仏を思えば、我が身口意はそのままみほとけと一体となります。この体験が積み重ねられるほど自らの生きる使命が心に判然として参ります・・。