高田竹鄰「日宝」
「一年三百六十五日その一日一日が白銀や黄金や玉にも替えがたき無価の宝である。新玉の年を迎へる毎に、われらは昼は日に光り、夜は星に輝く瑕なき霊宝を、三百六十五個の数を揃えて天から賜るのであるが、なさけなや私こそ真珠をあたえられた豚、小判の前の猫、「時」の価値を知らずして之を汚し、之を失うたこといかばかりであるか。わたしはさながら放蕩息子のように過去五十年すでに二万に近き「日の宝」を浪費してしまったのである。
いくら浪費しても天は慈父の如くにして一向惜しまず咎めず、ここにまた新年の希望とともに、光輝く明暗の三百六十五顆の宝珠を月という十二基の三宝に堆く盛り上げて賜るのである。之を如何してめでたしといって有難く頂戴せずにゐられよう。」
「一年三百六十五日その一日一日が白銀や黄金や玉にも替えがたき無価の宝である。新玉の年を迎へる毎に、われらは昼は日に光り、夜は星に輝く瑕なき霊宝を、三百六十五個の数を揃えて天から賜るのであるが、なさけなや私こそ真珠をあたえられた豚、小判の前の猫、「時」の価値を知らずして之を汚し、之を失うたこといかばかりであるか。わたしはさながら放蕩息子のように過去五十年すでに二万に近き「日の宝」を浪費してしまったのである。
いくら浪費しても天は慈父の如くにして一向惜しまず咎めず、ここにまた新年の希望とともに、光輝く明暗の三百六十五顆の宝珠を月という十二基の三宝に堆く盛り上げて賜るのである。之を如何してめでたしといって有難く頂戴せずにゐられよう。」