
仕事で田町~芝浦~海岸へ行った。
田町駅の南側は東京ガス研究所の広大な敷地があって、昔はその横を歩いて通勤していたのだが、ここは全部再開発に
なっているようだ。
これからどうなっていくんだろうか?

運河の上をモノレールが走る。
毎日見ていた。
この近くには駅ができるらしい。
今は、浜松町の次は天王洲アイルまで駅が無い。
1980年代はもっと本数が少なかったし、各駅停車しかなかった。

再開発の一部にはなんと「愛育病院」が既に建っていた!!!
あのお産の殿堂「愛育病院」だ。
愛育病院と言えば広尾駅、南麻布というイメージがしっかりだが、田町駅、芝浦になっている。
やっぱり、こちら側にも来るべきだなあ。
浦島太郎になってしまいそうだ。

なんだか信じられない光景だ。
愛育病院の隣は大昔からあるポートボール(ボウリング場)だ。
1階は昔はヤナセのマリーン部があって、ボートやクルーザーを売っていたのだが、
今はシボレーのショールームになっている。

この愛育病院の右手前はかの有名なお立ち台のあるディスコ「ジュリアナ東京」だった。
夜な夜な、羽根センス(ジュリ扇)を持ったボディコンの女子が歩いていた場所だ。

奇しくも、YANASEの本社の前を通った。
(平たく言えば、書類を倉庫に預けているのを見に行く時に、YANASEの前が通り道だったのだ。)
前回の日記で行ったサービスセンターは世田谷だが、今回は芝浦の本社ビルだ。
実は6年間、ここで働いていた。
ただし、この真新しいビルではない。
旧社屋は昭和37のものだったので、私よりちょっと若いぐらいだが、50年選手だった。
再開発で建て替えられた。
隣の元敷地には34階建の高層マンションが建設中だ。
ここはヤナセが土地を売却して、親会社の伊藤忠商事と日本土地建物が建ているようだ。
管理は三井不動産のようだ。
そういえば簗瀬次郎は三井物産出身だったなあ。

YANASE新社屋。
大きなビルだが、なんだか整然としていて、昔のような雑多でごちゃごちゃした感じが無くなったな。
シーンとした感じだった。

道を隔てた側には住友不動産のビルにYANASEのVWが入っているのだが、
このビルでも働いていた。
ここには松下電工か電器も入居していたのだが、面白いエピソードを想い出した。
エレベーターで簗瀬次郎と一緒になった松下の若いOLさんが、次郎さんに特に挨拶もしないで
エレベーターを降りたか、乗った。
そこで次郎さんが「ちゃんと挨拶をしなさい。」と言った。
そのOLさんは松下に帰って、「知らないおじいちゃんから挨拶しろと言われて頭に来た。失礼だ。」と訴えた。
そのビルの上司から、ヤナセにクレームの電話が行った。
「違う会社の人から挨拶しろと言われた。いかがなもんか。」という第一報だった。
その件は大阪の松下本社にもちゃんと報告された。
そもそもYANASEは、エレベーターの閉じるボタンも無くしてしまっている。
次郎さんはエレベーターの閉じるボタンで人を挟んではいけない。ちょっと待つぐらいなんだ。
という主義だった。
後日、松下本社から封書が届いた。
それはなんと感謝状であった。
「見ず知らずの会社の人でも挨拶するのは良いことです。有難うございます。」という内容だった。
その件は社内報で伝えられた。
さすが天下の松下電器だと。
そんな話も20年以上前のこと。
今はどうだろうか??
本当に変な人が増えてしまったから、他人のふりをしたくなる世の中になってしまったなぁ。

倉庫はヤナセの裏側の海岸通りにあったのだが、セキュリティーのためか、倉庫名も入口もすぐに判らない。
インターホンで開けてもらうのだった。
(写真は閲覧室の中から。建設中の建物がヤナセの敷地内だった場所に立つマンション。
右端の大きなビルが東芝ビル。)

閲覧室からの風景は素晴らしい。
スカイツリーも見える。

倉庫の中とは思えない。

仕事は無事に終わった。

周辺の風景。
いいねえ。

まだこんな風景も残っている。
でも車はEVのリーフ。




田町駅に向かって戻る。
モノレール下まで来る。

南口駅前は東工大付属高校のグランドがあったのだが、今は東工大の建物が建っている。
芝浦工大も綺麗になっている。
渋谷勤務になってから、田町駅で降りることが無くなってしまった。
もともとは運河と倉庫の多い南口だったのだが、今はマンションが多く、ずいぶんすっきり綺麗になってしまった。
いかがわしい雰囲気が無くなって寂しい。
田町電車区、品川客車区のあたりも線路が無くなって、整地中だった。
この辺は大きく変わっていく。
その昔は海岸だったのになあ。
SONY NEX-6、SONY 16-50mm F/3.5-5.6/PZ OSS
