SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

菖蒲池から王寺・田原本へ

2006-10-30 | 鉄道・バス
西大寺から歩いて菖蒲池駅に行く。
ここは近鉄の遊園地があった駅だ。
小さい頃随分とお世話になったのだが昨年閉園されてしまった。
電鉄系の遊園地はその昔は一大レジャー施設だったのだが言うまでも無く
レジャーの多様化で入場客が激減し、特に電鉄会社の看板的であった遊園地はどこも廃園されてしまった。
残るのは京阪電鉄の枚方パークぐらいしか思い出せない。
奈良では他に「奈良ドリームランド」が今年の夏に閉園された。
どちらも私の歴史の中で写真のみに残るものとなった。
笑顔とともに。


駅から見た菖蒲池遊園地の姿。
これからどう変貌するのか?
ここは学園前から続く高級住宅街になってきている場所。
kinkikidsの堂本剛君の実家もここから歩いてすぐ。
大池という池の付近にある高級住宅街にあるのは地元では有名だ。
紹介されて行った事がある。



関西の特徴としてホームには待合室がある。
これは夏は東京よりも遥かに暑いため。



奈良線で生駒へ向かった。
先頭車で景色を見ていると高級で緑の多い人気の住宅街であることが
よくわかる。東生駒からは新しくできた「ゆめはんな線」が並走し複々線だ。

近鉄は広告電車が好きで、いろいろな広告が走ってる。
シールではなくて下地を白く塗装してから広告を貼っている本格派。


子供達の後ろに居るのは地下鉄直通車。
しかし関西の子供は校外学習に行く場所に事欠かないのがうらやましい。



「ゆめはんな線」を自ら広告している電車。
近鉄7000系第三軌条車。車幅は2900ミリで近鉄で一番広い。
ゆめはんな線(正式にはけいはんな線)の終点は学園前の北方の登美ヶ丘。
ここは小さい頃の遊び場。
すごい田舎で学園前駅から木津行きボンネットバスに乗って魚やカラス貝を
取って遊んだ場所。
今は学究都市の玄関口になっている。



近鉄王寺行きに乗り換える。
近年急激にベットタウン化が進む地域。
昔はそれこそ田舎。


車内の様子。
関西は蛍光灯には必ずカバーがかかっている。
剥き出しにはしない風習。
関東は絶対に剥き出し。


近鉄とJRの王寺駅。
あまりにも近代化されていて驚く。
昔は相当な田舎だったのだ。
駅前も綺麗に整備され大型スーパーも併設されている。
もはや王寺ではない。



謎の物件「売店よっちゃん」!
タバコの自販機と細い入り口を入った左手にジュースの自販機のみ。
でも驚いた。入って右手の壁に小さな正方形の穴が2つ開いていて、
上の穴にノートパソコンの背が見える。誰かがPCを打っている音が。
大人の出入りできる穴ではない。
しばらく外で喫煙していると、その下の穴から人が出てきた。
本当に小さな人だった。
彼がよっちゃんなんだろう。
本当はこのビル全体のオーナーなのかもしれない。
右の綺麗な店は店子だったりするのかも。


奈良交通のバス。
近鉄バスそのものは少なく、グループ会社のバス会社が昔から多い。
近年の分社化とは歴史が違う。


近鉄王寺から歩いて50メートルの新王寺駅。
線路はつながっていない。
元々は生駒-王寺間も新王寺-西田原本間も近鉄の前は別々の鉄道。



新王寺からはローカル色が強く沿線の再開発もまだまだ。
というか奈良そのものの地域を走るので開発はあまりされないだろう。
そのため本数も少なく次の電車まで市街地探索に行くことにする。

駅前は近代化されているが古い街並みの匂いはぷんぷんする。
ちょっと離れると家はこんな感じ。



これも。



これも。




新王寺駅に戻る。
先ほどの生駒線と違いこちらの田原本線は8400系の運行でちょっと嬉しい。



枕木は今時珍しくほぼ全線「木」である。
生駒線はコンクリートであった。




田原本線の終点は西田原本駅。
ここで降りて近鉄橿原線の田原本駅に50メートルで移動。
田原本線は両端とも近鉄の駅に接していない独立線。
但し橿原線とはレールがつながっていて車検の際には出入りがある。
その渡り線を走行する姿は見たことは無い。


こちらが橿原線の田原本駅。
奈良を縦に結ぶ歴史深い悠久の地を走る路線。
さすがに沿線は開発されていない。
奈良時代とそんなに変わらない(ちと大袈裟)風景の中を走る。


撮影はKONICA MINOLTA α-7D AF17-35/F2.8-4.0、AF80-200/F2.8
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西大寺で降りる

2006-10-28 | 鉄道・バス
西大寺駅で数多くの古い電車を撮影できて満足し下車する。
駅周辺は大規模な再開発が進められている。
ひなびた風情が無くなるのは非常に残念だが仕方がない。
住民でもない私が我侭を言っても迷惑な話だ。
西大寺の北西には平城京蹟があり開発ができないのだが、確かに駅の南側は
開発可能であろう。但し発掘には時間を要したのだとうと思われる。
奈良はデベロッパーが嫌がる土地だ。
掘れば何かが出る。
開発に10年も20年もかかってしまうからだ。
おまけに規制が多いので滅多なことでは大型のマンション等は建たない。


駅の南側すぐの住宅。
昔は全部がこんな感じだった。
未舗装だ!


開発が進む。
ちょっと遅ければもう鄙びた一面を見ることはできなかった。


次に駅名の西大寺に向かう。
あまり観光客は行かない寺だがひじょうに大きく由緒正しい寺だ。
大きな茶器を回して飲む茶会の風景は見たことがあるだろう。
これは途中の風景。


雄大で静かな境内。


気持ちが豊かになる空間





西大寺の周辺の街並みもすばらしい。
これは一般の民家?
お寺さん?


お菓子のガトー・ド・ボア
以前女房と入ったことがある有名店で西大寺の門の前にある。
関西のお菓子は彩がきらびやかだそうだ。



私が40年ほど前に始めて電車の写真を撮った想い出の踏み切り。
まだ電車の写真を撮ってるのも何かの縁で。
開かずの踏み切り。



ちょっと乗り出すと線路内に入れるほど低い仕切り。
関東では安全策がもっとうるさいような気がする。
近鉄はおおらかだ。


祖父母の住んでいた家に向かう。
銭湯もあったはずだが見当たらなかった。
随分街並みも新しくなった。



ここも想い出の残る踏み切り。
その当時の踏み切り警報音はカンカンと鐘の音だったが、流石に今は電子音で
電車の通過が近くなると音量が下がる。



この坂は一人がやっと通れるほどの狭い坂で未舗装だった。
雨の時は水が川のように流れて上り下りに苦労した。



坂の上には土で固めた県営の長屋が10件ほどあり、木や森に囲まれた不思議な空間だったのだ。最早残っては居ないとは想像していたのだ。
森や木々は伐採されて新しい住宅が並んでいた。
しかし、しかしである。
祖父母の住んでいた場所には何とそれらしき家屋が残っていたのだ。
ちょっと離れて2軒だけ。
周りは変わっていたし家も改築されているが、裏に回ると土で固めた壁が
露出しており、屋根も相当古い木造なのが確認できた。
土壁の上に他のものを覆っていたが、確かに祖父母の住んでいた家だ。



ちょっとノスタルジックな気分になった。
次に近所のいつも遊んでいた踏み切りに向かった。
ここは何十回も行った場所だ。
今もかなりの高速で電車が通過する子供には危険な踏み切りだ。


踏み切り際のセイタカアワダチソウ。
関西では一般にどこでも見られる外来種の雑草だ。
アキノキリンソウとも呼んでいた。



そのまま歩いてあやめ池駅に向かった。
1キロ程度だ。
8000系の勇士。
カッコいい車両だなあ。


これも8000系。
傷みが見られない状態。よくもここまで使ってきたものだ。
美しいラインにほれぼれする。
近鉄の歴史を代表する名車。


撮影はKONICA MINOLTA α-7D AF17-35/F2.8-4.0、AF80-200/F2.8
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西大寺駅にて

2006-10-28 | 鉄道・バス
西大寺駅は奈良線と京都線・橿原線と大きな車庫のあるジャンクションだ。
子供の頃はこの駅にずっと居ても飽きることがなかった。
古い半分木造の電車や、旧奈良電鉄の車両、湘南顔の800系やドアが異常に広い820系、荷物電車や新旧の特急、それにクリームに青いラインの8000系。それが1分またずに出入りしているのだから楽しかった。
現在でも車両こそ変わったが楽しさは同じ。
半日居ても飽きないだろう。
(大体関東ではタバコを吸う私は駅に30分も居れない。関西私鉄は喫煙化なので
飽きれば喫煙し、疲れれば必ずホームにある待合室に入ればよい。快適だ。)


この複雑な線路。いや迷路だ。この写真では写っていない左側の線路もあるのだ。
ひっきりなしに電車が行き交うのに、更に真ん中には大車庫への通路があり、
ここの出入りもひっきりなしだ。
近鉄は2両から10両まで激しく連結や解放を行い適正な編成を組む。
さらに編成の中身も組み替える。
まるで貨車のように、パズルのように行うのだ。
その車両たちが車庫に出入りする。
さらに番線を移動するのにも引込み線替わりに出入りさせている。
この順番を考えている人は一体どんな人なのだろうか?
神業だと思う。
今ならコンピュータも使うのだろうが昔はどうやって作っていたのだろう?
事故は起きた事がないのだろうか。


この8000系は1964年のデビュー。
私の子供の頃の代表的な電車。
系列で300両以上作られた名車であり功労者(功労車)だ。


右の特急も相当古い。
むかしはスナックカーという名前であった。
まさしくスナックコーナーが車内にあったのだ。



こういう顔の電車も居る。3000系だ。
まあ異端車である。


8400系と最新の車両。
最新の車両はLC車。ボタン操作でロングシートからクロスシートに変更できる画期的アイディアの車両。中松博士が考えるような突拍子の無いすごさ。
ラッシュ時はロング、昼間時がクロスシートでごゆっくり。



これもスナックカー。余命も短い。
当時、国内最高馬力の180kw/hの出力モーターで33パーミル勾配を連続して時速110キロ運転していた。
新幹線の馬力とほぼ同じであった。
その気になれば180キロぐらいは出せる性能であろう。名車。



これも8000系。
最初はクリーム色に青いラインだった。よく覚えている。
次にマルーン単色の時代が長く長く続いた。古都に相応しい色だった。
その次がこの色。
最初は塗りわけが奇異に写った(パンダじゃないか!)が人間慣れるものだ。
幌を丸出しにしているのは始終、連結と解放を行うから。
これも近鉄の伝統。



関西の私鉄は乗務員が常に他の電車や客にも気を配っている。
追い越し待ちの時も漫然と自分の電車に乗ったままではなく
外に出てきて追い越す列車側に行きホームの安全確認を行っている。
交代の時の待っている姿も関東とは雰囲気が違っている。
電車をずっと見つつつホームの安全確認もしながら待つのだ。
特にJRは見習うべきだ。
ダラダラしてるだけに見える。

撮影はKONICA MINOLTA α-7D AF17-35/F2.8-4.0、AF80-200/F2.8
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近鉄京都線

2006-10-28 | 鉄道・バス
まずは新幹線で京都に行き、近鉄京都線で西大寺に向かう。
私は近鉄学園前で育ったのだが祖父母は西大寺に住んでいた。
そのために近鉄京都線は馴染みの深い路線だ。
しかしもう40年も前の話だ。当時は昭和一桁台の古い車両がガタピシ走っていた準ローカル線であった。
今はベッドタウン化が進み、新田辺周辺は同志社大学を中心とする学究都市に様変わりしている。


新幹線の改札を出ると目の前に近鉄電車が見えている。
あまりにも乗換えが便利だ。
この写真はまさにJRの改札から撮った写真である。



まずは8600系の急行に乗車。
しかし運転席に貼ってある「電池運転可能車両」というのは
どういう意味なんだろうか?



新田辺で下車。
学究都市の玄関駅だ。
ここまでは最高速度は100キロで近鉄にしてはチンタラ走る路線だ。
競合が無いからか。もう少しスピードアップすべきだ。



ここで余命も長くないと思われる旧型を撮った。
この8400系もデビューは1968年だからもうすぐ40年選手だ。(私よりは若い)
それにしては綺麗なままだ。
近鉄はそもそも走行距離が多く酷使されているはずだが、
大切にされているのだろう。
40トンクラスの頑丈な車体だ。



こちらは最近の車両。
一両毎に京都と奈良の絵が描かれている。
その為にそもそも京都線用となっている。(京都地下鉄乗り入れ用)
こちらは鹿が描かれている奈良側。



これは奈良まで相互乗り入れしている京都地下鉄。
まさに地下鉄っぽい顔だ。


撮影はKONICA MINOLTA α-7D AF17-35/F2.8-4.0、AF80-200/F2.8
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関西詣で

2006-10-28 | 鉄道・バス
先日関西に行き鉄道三昧となった。

私は4歳から15歳までを奈良と大阪で育った。
子供の多感な頃を関西で育ったので未だに魂の中に関西気質が残っている。
特に近鉄沿線での生活が思い出深く未だに近鉄のファンである。
女房の母親も大阪南部河内が故郷で墓がその方面にあるために、
年に2回は親戚一同で大阪に出かけるのが慣わしになっている。

今回は長男と二人で関西詣でをしようと計画していた。
長男は大阪が大好きなのである。小さいながら大阪の面白さが
肌身でわかるらしい。関西弁も真似をするのが上手い。
まあ長男が居ればUSJに行くとか大仏を見るとかの予定であった。
しかし風邪で行けなくなってしまい、結局一人で行くことにした。
内容を変更、故郷を訪ねること、友人と飲むこと、また、関西私鉄の失われつつある古い車両を画像に収めるのを主な目的にした。

関西は古くても良いものは残す習性があり、名車はまだまだ残っているのである。関東はスクラップ アンド ビルドが好きなのか、そうせざるを得ないのか、一気に古い車両を廃車にしてしまい、コスト最優先の車両に置き換えてしまう。
まあもともと文化的に大いに違うので仕方が無いことだが、そもそも私鉄王国関西には優れた車両が多く、いまだに通用するものも多いのも理由かもしれない。
しかし流石に車齢も30年を過ぎれば換え時となる。
そんな車両たちを探して、近鉄、阪神、神鉄、山陽、京阪、を主に訪ねた。
(南海、阪急、JR西日本は春に訪れた。)

結論として、やはり関西はすごかったし感動、関心させられた。
また首都圏との大きな違いを改めて感じた。

ここは鉄道ファンのブログではないのだがしばらくお付き合いください。


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運動会

2006-10-21 | スナップ
保育園の運動会があった。
世間の幼稚園では写真やビデオの場所取りで深夜、早朝から並ぶとか
場所を抽選にするとかすさまじい話を聞くが、うちの保育園は大きいにもかかわらず、10分前ぐらいから集合する。とても悠長でよい。
今回は40分前に行ったら1番乗りで、まだ準備がスタートした段階。
結局は準備の手伝いをやる。
その間子供は借りた小学校の鉄棒とかで遊んでいる。

保育園と幼稚園ではいろいろ文化が違うようだ。



今回も写真は1000枚ぐらいは撮った。
ビデオも回した。
しかし運動会の写真というのは、必ず誰かと一緒に写っている。
ブログで傑作写真の大公開!
・・・といきたいところだが、やはり本人だけ写っている写真に
限定しておいた。
天気もたいへんよく、傑作写真がたくさんあったのだが、残念。
(まあ親ばか写真なので丁度よいか。)




かけっこ。
走る前に他の男の子と「一緒にゴールしよう。」と約束したと言っていたが。




今年はお遊戯や踊りも照れずにやっていた。



次男坊も競技があるのだが、いかんせん先生と一緒の場面が多い。
知恵がついて照れるようなのだ。







兄弟とも親とは関係なく運動神経は抜群だ。
親は文科系。







他の保育園からの贈り物。
クラス全員に「木ぽっくり」が贈られた。
来年は竹馬も全員でできるような年齢だ。




次男の写真があまり無いので、運動会終了後の写真。
近所の公園で。まだまだ遊び足りない。

しかし朝から晩まで遊び続ける体力はすごいものだ。

運動会では主役はビデオ。
カメラ派は少数で大概はコンパクトデジカメ。
大きなズーム付きデジイチは数名だった。
中には「今回カメラを新調しちゃいました。」と言って
コンタックスのフィルム一眼とツャイスレンズ数本を見せてくれた人が居た。
途中でフィルムが足りなくなり買いに出ていた。
そういえば私も昔はフィルムの残数を気にしながら撮っていたっけ。



KONICA MINOLTA α-7D AF80-200/F2.8
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日ノ出町 初芳鮨

2006-10-21 | スナップ
会社でお世話になっていた方々と休日に鮨を食べた。
我が家は全員4名で出動。
京急日ノ出町の初芳鮨だ。

私は京急に乗るのがすこぶる好きなので京急沿線に行くのは
いつでもOKなんである。
京急横浜駅も7月から下りホーム増築、入り口増設でたいへん使いやすく綺麗になったのも良い。横浜駅リニューアルはあまり知られていないようだが、もっと宣伝すればよいのだが。バリアフリー化もなされた。
汚く混雑するJRの中央通路を使わなくても良くなったのだ。
とにかく横浜駅JR近辺は早く美しくしてもらいたいもんだ。



日ノ出町で京急1000系を撮る。
これは名車だ。
どんどん減っている。



初芳鮨はとてもうまく豪華。
酒代はかからない。料理代だけなのだ。
だから酒の持ち込みもOKである。
今回も日本酒は持ち込み。




お世話になった方々。(一応ブレ写真で。)
これからもずっとよろしくお願いします。



子供は何でもおもちゃにする。
伊勢海老を携帯にしていた。
しかし伊勢海老ってのは何で美味なんだ。


帰りは快速特急で品川まで行く。
120キロの韋駄天ぶりに子供達も大興奮だ。
「飛行機みたいだねえ。飛ぶかも。」とは長男の弁。


KONICA MINOLTA α-7D AF28-70/F2.8
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マイルスは天空へ飛翔した。

2006-10-18 | バンド・音楽

いつかこのブログで何百回も聴きつづけたLPやCDの話を書いた。
生まれて初めて自分のお金で買ったLPがそこに入っている。
Wings/ Band on the Runだ。
これはよく覚えている。何と言っても自分の小遣いを貯めて買ったものだ。
中学1年生か2年生だったかと思う。嬉しかった。だから数百回聴いた。
当時はLPは2500円だった。大変高価だ。中一の小遣いは月に500円とか700円ぐらいだったから。
我慢しきれないでシングル盤を買ってしまったりしてなかなか貯まらない。
そのシングル盤でさえ500円だ。ディープ・パープルやグランド・ファンク・レイルロードを買った。
月の小遣いで買ったシングル盤だ。曲は長ければ長いほうが良かった。その方が得だと思ったからだ。
レッド・ツェッペリンが5分以上でパープルより得だなあと思ったが、ある時に買ったグランド・ファンクが10分以上もあって、天にも上る喜びだった。
そんな時代だから2500円のLPを買うのは勇気と忍耐が必要だった。
行きたい写真撮影は何十キロでも自転車で行った。無人駅から列車に乗り、無人駅で降りたこともあった。
大阪駅から入場券で入り、名古屋や山陰や紀勢線の突端まで列車で行き、戻ってくるのもしょっちゅうだった。
そうやって小遣いを浮かせた。親は知らなかったろう。
勿論、誕生日とクリスマスもLPを所望したので、LPは他にもあったが、年に2回の行事まで待てるわけが無い。
そしてお決まりの友人との貸しっこだ。これで飛躍的にレパートリーが増えるのだが、当時はLPを録音する手段が我が家には無かった。
仕方が無いので、ナショナル・マックというカセットテレコをスピーカーの前に置いてそれを録音したりもやっていた。映画音楽もTVの前にテレコを置いて家族と犬には大人しくしてもらって録音した。
カセットデッキやコンポを買ったのは高校3年になってからの話だ。

さてそんな中学生のある日、父親がアメリカに長期の出張に行くことになった。
「お土産は何が良い?」と聴かれれば即座にLPと答えた。どうやらアメリカで買えば安いようでもある。
待ち遠しかった。2枚ぐらい買ってくれるかな、3枚ぐらいなら嬉しいな。と2週間ほど待った。
リクエストは一応しておいた。確か1枚だけ「リターン・トュー・フォーエバー」だ。
帰国した親父を見て驚いた。ダンボール箱を抱えていたからだ。中を開けて腰を抜かすかと思った。
LPが20枚近く入っていた。それは大変な重量だ。アトランタで買ったという。安くしてくれたとも。
正月とクリスマスと誕生日が数年分一気にやってきた感じだった。
その他にちゃんとジョニ赤やらタバコも持っていたし、お袋へも何か買っていたから、さぞかし大変だったろうと思う。
まあアメリカ出張自体がたいそうな事だったから。

さて、その中身だ。
今となっては全部を覚えてるわけではないが、

チック・コリア/リターン・トュー・フォーエバー(リクエストしたものだ。カモメですな。)
チック・コリア/ARC
キース・ジャレット/宝島
マイルス・デイビス/カインド・オブ・ブルー
マイルス・デイビス/ビッチェズ・ブリュー
ソニー・ロリンズ/サキソフォン・コロッサス
シェリーマン/マイ・フェア・レディ
ジェファーソン・エアプレーン/2枚組
オールマン・ブラザーズ・バンド/フィルモア・イースト
デュアン・オールマン/アンソロジー

後は記憶が定かではない。映画音楽やボサノバもあった。
内容はバラバラだ。
どうやって選んだのかを聞いたら、
日頃私が聴いているジャンルを店員に言ったのと、
店員のお勧めを買ったとのことだった。アトランタのレコード店の店員選だ。
サザンロックとジェファーソンは何となくわかる。
シェリーマンは完全に親父の選択だ。
しかしビッチェズ・ブリューは誰の選択だろう?
その頃までに生意気にもジャズはたくさん聴いていた。FMでのエアチェックだ。
油井正一の言う事は何でも鵜呑みにしていた。評論家の神様だ。
ジャズを聴きながらブリティッシュロックにのめり込み、発展してアメリカンロックに行く途中だった。(ロックの渋谷陽一には反発していたが。)
土産の中で私にとって最も刺激的だったのはビッチェズ・ブリューだった。
最初は何だ?これは。ごちゃごちゃだな。楽器のバランスも最悪だ。起承転結も不明だ。最大の駄作?愚挙?
ジミヘンのギターの方がカッコいいし、サックスは音色が合ってない。
しかしせっかく手に入れた大作だ。聴かねば損だ。と思い、聴きまくった。
ジャズとハードロックばかり聴いていたので、そのうちに慣れてきた。
慣れるとなかなか良い。その心地悪さが何とも刺激的だ。背中がムズムズするしトイレに行きたくもなった。
結局、参加しているミュージシャンにも興味がわき、時代がクロスオーバーに向っていくのもあって、今で言えばフュージョンの世界にはまっていった。(このフュージョンは後に打算的になってバブルが弾けるように消えていく。)



西新宿の高層ビル群の真ん中広場で行われたマイルスのコンサートは今も忘れられない。
広場の真中から空中高くマイルスの叫びが突き抜けた。
それが天空にむかう光線のように見えたのだ。
それが私にとってのジャズの終焉となった。その先のジャズは何を聞いても焼き直しにしか聴こえなかった。
いくらウィントン・マルサリスが完璧な演奏を繰り返しても、もはや魂は揺さぶられなかった。

2000年になる少し前だった。
「The Complete Bitches Brew Sessions」が出た。
オリジナルと同時代のセッションを加えたものである。
CDが4枚、148頁に及ぶ冊子が付属した素敵なアルミパッケージのものだ。
全部聴きとおすほど、もはや若くも時間もないが、
亡くなった親父からの突然のプレゼントのようであった。

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3枚ドアのバス

2006-10-16 | 
ブログで知り合いになった(というか私が惚れた)三日画師の「さすけね」さんのブログ
http://mikkagashi.cocolog-nifty.com/blog/
でバスの話題があり、最近は3箇所の出入り口のあるバスが減りましたねえ。
・・・なんていう話になった。
東京南方、川崎、横浜方面では最近見た記憶がない。
最近は友人の「チカさん」(男性)の影響も大いにあり、バスが来れば
シャッターを押すようになった。

大型バスといえば京成かな。と思い千葉方面に出かけた。
天気がよく青空がきれいな日だった。

記憶によると新浦安には大きいのが居たなあ、ということで新浦安に降り立った。
ここは頻繁にバスが出入りし、駅前も綺麗なので写真も撮りやすい。
むかしこの近所に住んで居たのである。

ほどなく3枚扉車が現れた。
ノンステップ車では3枚は難しいので最近は見なくなったのだろう、と「さすけねさん」は仰っていた。


















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鉾田へ(その2)

2006-10-14 | 鉄道・バス



なかなか感じのよい駅だ。
駅員も配置されている。



こういう手作りな感じは国鉄もそうだった。
JRになって田舎でも規格化されてしまってつまらなくなった。


鉾田までの直通は少ない。
常陸小川止まりが多いのである。



駅前には広いバスターミナルがある。関東鉄道だ。
ローカル線はバスには敵わないのだが、バスの場合は地図や時刻表から町の表記が消えてしまうか小さく目立たない表記になってしまうのだ。
それが寂しい。



空は秋だな。



駅につきものの蕎麦屋。
私も山菜そばを食べた。
昔からそうだった。



いつ書かれたのだろう?



「きのこ狩好適地」という案内がかわいい。



あくまで手書き。



折り返しもそのまま601号



運転手もそのまま折り返す。



帰りは鉄道ファンが2名とおばあちゃんが1名。



揺れる車内から300ミリの望遠で撮ってみた。
窓の汚れでソフトフォーカスのように写った。



まっすぐな線路の向こうには何があるんだろう。



鉄道模型のレイアウトのような駅の風情。



霞ヶ浦は字のとおり何となく霞んでいる。



のんびりした風景だが、撮ってる方は揺れまくる車内から300ミリで写しとめるのに必死なんである。



夕方の風景。
琵琶湖ともまったく異なる雰囲気だ。
浅いのが湖面からもわかる。



すれ違った車両はすべて新型の単行であった。



途中駅からは高校生や中学生が大勢乗車し、席は埋まり立つ学生も多かった。
石岡に到着すると多くは常磐線に乗り換える。



こんな色の車両もある。
いつ走るのだろうか場所は移動していた。



すぐに次の列車が入ってきた。
通学ラッシュのために途中までピストン輸送する。



中学生や高校生を見ていると元気で屈託がなく、廃止されてしまうなどとは想像もできないのである。



帰宅する時間が押し迫っていたので帰りは「フレッシュひたち」で帰った。
上野まで58分であった。
石岡から鉾田まで20数キロを50分強で走る「かしてつ」と石岡から上野(82.2キロ)に向かう常磐線の所要時間が変わらないのには驚く。



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