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Mikuのブログ

ノンフィクションエクソシスト映画とDVD

2012-06-23 00:28:47 | 映画・ドラマ・芸能・スポーツ

http://blog.movie.nifty.com/blog/2011/04/post-e97d.html

東日本大震災の影響によって公開延期され4月9日(土)に公開が決まった『ザ・ライト -エクソシストの真実-』。実話をベースに悪魔祓いとバチカンにおけるエクソシストに迫る衝撃ホラーだ。本作に登場するアメリカの神学生マイケルのモデルとなったゲイリー・トーマス神父にインタビューを行った。

Q:エクソシズムは何故無料で受けられるのでしょうか?エクソシズムはどのようなシステムになっているのか?
普通、神父は雇用者からお給料をもらうんだ。だから、神父制度における司教区で、行政教区がすべての神父に給料を支払う。我々の司教区では、私の神父としての給料の何%かを、エクソシズムを行うことに対して支払うことにしたんだ。だから、神の人々、教区の人々が、私の給料を払ってくれているんだ。そして、今では司教区が、私が神父としての、そしてエクソシストとしての役割も果たせるように、私の神父としての給料のごく一部を支払ってくれているんだ。

Q:今まで多くのエクソシストをモチーフとした映画が作られていますが、ゲイリー・トーマスさんがご覧になった中で、一番リアルにエクソシズムを描いている作品はなんですか?
「エミリー・ローズ」、オリジナルの「エクソシスト」と、数ヶ月前に公開された「The Last Exorcism(原題)」。えこひいきしているように聞こえるだろうと思うけど、エクソシズムを描いたもっともリアリスティックな映画は「ザ・ライト」だと思う。
なぜなら、まず、エクソシズムの描写は非常に正確だ。アンソニー・ホプキンスやコリン・オドノヒュー、監督、プロデューサーたちと一緒に、エクソシズムのシーンを個人的に手がけたんだ。
「ザ・ライト」は、エクソシズム・シーンの描写が非常に正確であるということが、ユニークであり、もっともリアリスティックなんだと思う。

Q:誰にでも分かる「悪魔が憑いているかどうかの見分け方」などあれば教えてもらえないでしょうか?

色々な兆候があるんだが、祈りや悪魔祓いが必要だと見分ける為の解りやすいサインは、教会のような聖域に近づくのを避けたり、十字架やキリスト像などから目を背けたり、聖水を嫌がったりする兆候が多いね。他には、全く知らない言語を話したり、神父を攻撃しようとする姿勢を見せたりすることも兆候のひとつだ。

Q:信仰心の無い方にエクソシズムを施すことができないという事ですが、信仰心が無くても悪魔に憑かれる事はあるのでしょうか?
そうだよ。信仰を持つ人だけが悪魔に取り憑かれるわけじゃない。悪魔的な行動は、人々が悪魔を招き入れた時か、誰かが彼らのために悪魔を招き入れた時に起きる。その人が信仰を持つか持たないかは関係ないんだ。特定のキリスト教の宗派や他の宗教に属している人々のように、信仰を持たない人でも、間違いなく悪魔的な影響を経験することはあるんだよ。

Q:エクソシストというと緑色の液体嘔吐や首が回ったりする映画『エクソシスト』(The Exorcist)のイメージが強いのですが、ご自身が行ったり立ち会ったりした中で起こった、一番驚いた不思議な現象のエピソードを教えてください。
ある女性に悪魔祓いを行ったときの話だが、はじめて会った時には、明らかな悪魔の兆候はなかったんだ。そこで、悪魔祓いを終えて彼女は「神父様、理由はわからないけれど、私はあなたのことがすごく怖いんです」と言うんだ。そこで私はピンと来て、彼女の背中に十字架を置いた。すると彼女の表情や目つきが変わり、まるで蛇のように舌を使い、私へ唾を吐いたのです。そして、何語か不明な言語で私を怒鳴りつけました。それは彼女にもまったく知らない言語だったよ。

 

東日本大震災の年でしたかね~。

ホラー好き・・・特にノンフィクション物が好きな私は 当然 見に行きました。

悪魔祓いというと日本の神社・仏閣でも行われているのではないでしょうか。

除霊・浄霊と言われてますよね。ただこちらは本当に取り除かれているのか?チョット疑問に思ってしまうところもあり。

それまでとり憑いていた霊が除霊されても、違う霊が交代していることもあると聞いた事もあり。

さてさて、きりがない話なのですが

ともかく、キリスト教の悪霊たちは日本の悪霊と性質が異なり凄まじいかぎり・・・

これは、生きている欧米人と日本人を比較してもそうですが、彼ら欧米人は何と言うか

エネルギッシュで体力的にも精神的にも激しいところがあるように見受けられますし、

生前の性質や生前には隠れていた内面的な性質が正直に出てしまうのが霊の特徴でもありますので、いたしかたないのかなと。

ただし、映画にでてくるような者たちは“悪霊”ではなく“悪魔”ですので激しいのは当然ですよね。

ここで“悪霊”と“悪魔”の違いを

Mikuの拙い知識ですが、“悪霊”は生前比較的暗い性格でメンタル的にもマイナス傾向の強い人だったケース。自分の人生を恨み、それを環境のせい、親のせい、人のせいにして生きてきた人。その人の人生をじっくり聞けばそれは確かに親のせいですね。環境のせいね。という人生であっても、暗い気持ちを持ち続けると“悪霊”になってしまう。

割りにあわないですね~。ふんだりけったりです。自分のせいでこうなったわけじゃないと思いつつも、自分が“悪霊”になってしまうなんて・・・・人を恨んだままだとやっぱり“悪霊”になってしまうのよね。

・・・・ということで、“悪霊”のメンタルは、誰にでも持ちうるメンタルなんですが、ちょっと気持ちを変えて、考え方を変えて、諦めないで明るくなろう!頑張ってみよう!自分の人生を愛そう!と努力し続ければどの人もこの心的傾向性を変えることが・・・まだ、出来るレベルです。

このときに普通にしていても自分の人生を愛する事も人を許す事もなかなかできないので、宗教的な知識が必ず必要だと思います。

“悪魔”は暗いメンタルで・・・・なんて可愛いものではありません。積極的に人を不幸にしようと画策して実行に移す者たちです。彼らは人間というものをよ~~く知っています。人の弱点を付きそこを狙って取り憑いてきます。彼らは悪のリーダーです。

取り憑き方は映画の通りです。「ザ・ライト」では“悪魔”が取り憑いた原因がちゃんと描かれているのでわかり易すいですね。

ところで、“悪霊”も“悪魔”も取り憑く原因は一緒で、生きてる人が自分達と同じ心を持っていると取り憑いてきます。彼らから言わせると「目の前に“この人”が現れたのだ」と言ってます。

取り憑く目的は“悪霊”の場合は寂しさから、救われたいから。“悪魔”の場合は悪さをするため。

霊界は心の世界なので、この世とは違い、同じ心を持った人同士が同じ世界にいられるところなのですが、逆に言うと同じ心をもった人としかいられないところです。

なので、ある人がある日“悪魔”と同じ心に到達した時点で心の世界では“悪魔”の住む世界に、そして“悪魔の”目の前にその人が必然的に現れることになります。

・・・・その結果、その人はさらに割に合わない人生に貶められることになるわけです。

何しろ“悪霊”にしろ“悪魔”にしろ取り憑かたまま死んでしまった日にゃあ・・・その霊と同じ世界に行くことは必定。

この世はまだいいですよ。気分を変えられるチャンスはいくらでもあります。ちょっとおいしいものでも食べにいけます。景色の良いところにドライブにでも行かれます。可愛い雑貨屋さんでショッピングも出来ます。

でも、霊界の地獄界は最悪ですよ。いい物もいい人も一つとして用意されてないのですから。気分を変えようにも明るくしようにもそう簡単にはできませんからね。

生きているうちに自分の心を省みて、何かを恨む気持ちがあったらサッサと考え方を切り替え自分や他人を・・全てを許す方が得策です。あ~~そう言うMikuも~~くわばらくわばら~~~。

上の記事にもでてきた「エミリーローズ」もDVDで見ました。これもノンフィクションです。

この「エミリーローズ」では19歳くらいの少女が“悪魔”に憑かれるのですが、なぜ憑かれたのか原因は描かれていません。謎です。

“悪魔祓い”の結果少女を死に至らしめたと牧師が検察から訴えられ、その裁判の様子が映画の中心ですが、陪審員たちの判決は実質“無罪”でした。つまり“エクソシスト”が法廷の場で適切であったと認められたという内容です。もちろんノンフィクションです。

これは少女は始めは精神科医に通い薬物療法をしていたのですが、一向によくならずますます悪化するし、どうみても少女の人格が様変わりする様子を見た信仰深い両親は、親しい牧師に“悪魔祓い”を依頼します。

その精神科医と神父の戦いでした。つまり、唯物的な医学と宗教との戦いでした。もっと言うと“唯物論”と“宗教”の戦い。

牧師には優秀な敏腕女性弁護士がつくのですが、彼女にも毎晩妙な現象が起き始めます。

“悪魔”はやくざと一緒で、脅しをかけてくるのです。「これ以上俺達の邪魔をするな」・・・と。

でも、この現象が返って女性弁護士をして“悪魔”の存在を確信させ、牧師は正しかったのではないかと思わせることになりました。

この映画ではさらに面白い事実が発見されます。それは精神科医の処方する薬物と“エクソシスト”との関係。これが裁判をひっくり返す決め手となりました。

 

“悪魔”がいるということは、その逆の“神”も当然いるということです。

“悪魔”は賢く“神”の邪魔をすることを生きがい?にしていますが、所詮は邪魔を企てる事しかできません。

“神”はそんな“悪魔”を時には利用し未来を築くことが出来る存在です。

そんな“悪魔”も長い永遠の時間の中で(この時間そのものが“神”の手のひらの中にあるのではないかと思ったりもするMikuですが)自由の名の元にいつかは“改心”する事を願われておられるのが“神様”なのだそうです。“悪魔”も元々は神の子ですから。

そんな“神”の臨在を知るきっかけは誰にでも与えられています。どうしてかというと、“神”は私たちを深く深く愛してくださっているから。本当に“神”とは愛さずにはいられない私たちの魂の親なのですね~~~。

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