一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

三遊亭圓生「代脈」-またはコンプライアンスと「粋」の関係について

2007-03-25 | よしなしごと

ここのところ、週末に車に乗りながら落語のCDを聴くというのがマイブームです(参照)。
今日は三遊亭圓生の「代脈」

圓生は亡くなったのが1979年なので子供の頃にテレビで観ていたはずなのですがあまり記憶にありませんでした。
この噺も含めて「圓生百席」というスタジオ録音のシリーズをいくつか聴いているのですが、ライブ以上に集中するせいか、マクラの部分から一気に圓生の語り口が作る世界に引き込まれます。
また、それぞれの噺の後にボーナス・トラックとして本人がその噺について解説やもちネタにした由来などを簡単に話す「芸談」もついていてお得でもあります。
最近のお気に入りであります。


さて、「代脈」という噺は、商家の娘の往診に大先生が代わりに送った与太郎が・・・(代診のことを代脈といった)という噺です。

この噺についての「芸談」が面白い。

これを改作して与太郎が代わりに駕籠に乗っていくのを人力車や自動車にかえて演った人もいますが、こうなると第一話がおかしくなる。人力車や自動車の時代に与太郎が代脈を取れば医師法違反ですよ。

与太郎でも薬の調合さえしなければ間違いはない。相手のお嬢さんが気鬱症、まぁ今の神経衰弱だからこんなものが行って失敗でもやらかせば、かえってお慰みになってよかろう、という昔のごく粋な考えからしたことなんですね。

今のような理屈っぽい時代にそんなことすりゃえらいことになる。

医師法などという切り口まで持っているところもおどろきですが、このCDの音源は昭和50年(1975年)。その頃も明治33年(1900年)生まれの圓生には理屈っぽい時代にうつっていたんですね。


さらに30年が経った現在では、世の中はコンプライアンスだの内部統制だのと世の中はさらに理屈っぽくなってしまっています。

でも、こんな時代にこそ、「粋な考え」を生かすことが大事なんだと思うのですが・・・

コメント
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