(2007年8月1日(水)15:57 産経新聞)
なんか、「北朝鮮のミサイル発射に対する制裁措置としての万景峰号の入港禁止」(参照)
のようですね。
今回の選挙のように事前に自民党の敗北と首相続投を前提に議論がされていた選挙も珍しかったと思います。
小泉さんのあとを継いだ時点でリバウンドは覚悟していたとは思うのですが・・・
安倍首相続投のようですが、確かに参議院には首班指名の権限はなく、参議院逆転のまま法案審議が滞った場合に衆議院の総選挙で民意を問い、そこで負けて初めて辞める、というのが制度の趣旨には合います。
しかしそもそも安倍首相の就任自体が自民党総裁の任期切れ、という民意と関係のない自民党の理屈によっていたのであり、今回も本人が辞めるといわず、他に誰も内閣改造・総選挙という火中の栗を拾う人も現れず、という党内の理屈によるという感じがします。
一方民主党もShadow Cabinetならぬ「代表雲隠れ」という妙な状況(昨日やっと登場したようですが)なので今後の敵失期待ということかもしれませんが、そうやって後手に回っていると、本当に小泉さんの言ったとおり自民党がぶっ壊れてしまう可能性もありますね。
さて、今回の参院選での自民党の37議席という「歴史的惨敗」はどの程度「歴史的」かというと、 過去最低である1989年参院選の36議席を1つ上回っただけの過去二番目の低い獲得議席数です。
参議院で自民党が過半数を下回ったのも1989年以来の2度目です。
では1989年にそんなに惨敗した原因は、当時リクルート問題、消費税問題、農産物自由化問題の「三点セット」に加え、宇野宗佑首相の「三本指」女性スキャンダル(神楽坂の芸者さんに指を三本握らせ、月30万円のお手当で「わしの妾になれ」と言ったという話)で自民党に大逆風が吹いたものです。
その結果宇野首相が退陣し、宇野氏の総理在任期間は僅か69日、戦後3番目の短命内閣に終わるというもうひとつの記録まで作りました(参照)。
ちなみに戦後の短命内閣の1番が連立政権の少数内閣だった新生党羽田孜の64日、2番が石橋湛山の病気を理由にした65日です。
安倍さんも惨敗や短命内閣の新記録になったなら辞めるあきらめもついたのでしょうが、このまま辞めては歴史に汚名すら残すことができない、という意地もあるのかもしれません。
もう「二番手」「後継者」と言われるのはいやなのかも・・・
ところで「三本指」問題が発覚したときに、宇野総理に対しては自民党内からも批判の声が相次ぎました。
当時はセクハラなどは今ほどうるさくなく、自民党のえらいさんは愛人の1人や2人囲っているのが普通じゃないかと当時若者であった私は漠然と思っていたのでけっこう意外でした。
そこで仲間内で、なぜ宇野宗祐が党内からも総スカンを食ったのだろうと理由を考えました。
① 選挙民向けのポーズ
まあ、普通の発想
② 女性とのトラブルをマネジメントできないようでは総理大臣として不適格
「うまくやれよ・・・」ということかと
③ 当時大臣クラスの政治家としては月30万というのはケチである
知人の女性が選挙事務所でアルバイトしていたとき、議員秘書に「月30万で愛人にならないか」と言われたことがありまして、それに比較すると自民党の幹部でありながらそこまで金にシビアだと若手議員に人気が出ないのではないかという説
④ 相場観がないのは総理大臣として不適格
いえいえケチなのでなく、単に相場観がなかった。ただこのほうが一国の宰相としては問題だと。
安倍首相は続投の理由として
「困難な道であることは覚悟している。日本は改革を進めていかなければやっていけない」
「ここで逃げてはならない。政治の空白は許されない」
と言っています。
続投が政治の空白をなくし、改革を進めることにつながる、ということを強弁でなく本気で思っているとするなら、その相場観、どうなんでしょう。