奈良県立橿原考古学研究所が弥生時代前期(約2400年前)の水田跡の土を使い、稲の成育実験を行ったところ、土を採取した場所によって生育に大きな差が生じた。橿考研は「当時の水田は稲の高さが不ぞろいだった可能性がある」としている(H24年9月5日に発表)。
実験は、指導・京都大学大学院農学研究科稲村達也教授(栽培システム)、協力・奈良県農業総合センターで行われた。
☆採取土壌
弥生時代前期の水田跡としては国内最大規模とされる御所市の秋津遺跡
採取地点は肥沃(ひよく)状態が異なる3ヵ所から
10リットル入りのポット6個に土壌を採取
☆使用した米の品種
西日本で一般的な米の品種ヒノヒカリの苗を使用
同遺跡近くの用水路の水だけを使って育てた
☆生育実験
弥生時代土壌のポット6個、比較のため現代の水田の土壌ポット2個
6月にヒノヒカリの苗を5~8本栽培
☆生育実験の結果(9月5日現在)
現代の水田の土で育てた稲は、いずれも高さが約78cmと均一だった
弥生時代水田の土で育てた稲は、高さが約38cm~72cmとかなり不揃い
(イネの出穂は、現代土壌で8月28日、弥生土壌で8月29日)
この実験結果から、弥生時代前期は同じ水田内でも土の含む養分が場所によって異なっていたと推測。こため、現代の様な稲の高さが揃った状態ではなく、不揃いな稲の高さ広がる水田風景だった可能性があるとしている。
◆稲の成育実験の展示
展示場所:橿原考古学研究所附属博物館中庭
展示期間:2012年9月6日~12日
◆奈良県立橿原(かしはら)考古学研究所
http://www.kashikoken.jp/
沿革
1938年(昭和13年):「皇紀2600年記念事業」の橿原神宮外苑整備事業として橿原遺跡の調査が行われ、調査事務所を設置。この日が橿原考古学研究所の創立記念日とされる。
1951年(昭和26年):埋蔵文化財研究機関として奈良県立橿原考古学研究所を設置。
1972年(昭和47年):研究所の発掘により高松塚古墳壁画を発見。
1985年(昭和60年):藤ノ木古墳第1次調査。
4月に小さな花が咲いていたコノテガシワ(H24.4.28ブログで紹介)。コノテガシワは雌雄同株で、雄花は短い枝先で黄褐色、雌花は淡紫緑~白緑色なので目立たない。花から数ヶ月、雌花に白緑色の金平糖の様な実が付いている。
コノテガシワ(児の手柏)
ヒノキ科コノテガシワ属
中国原産、江戸時代に渡来
樹高は5~10m、常緑小高木
雌雄同株、雌花・雄花とも葉の先端に付く
開花時期は3月~5月
実は2cm前後の灰緑色をした数個の角のある球果、秋に褐色となり割れる
名(コノテガシワ)の由来は、枝振りが団扇を縦にした様子を子供の掌(てのひら)を広げた形に見立てた
現在流通しているのはほとんど園芸品種のセンジュ(千手)との事で、この名も沢山の手を広げた様な枝葉の表現である