企業は、資本主義的利益追求を徹底して、正規社員を減らし、派遣会社から臨時社員を採る傾向を強めている。社員に対する義務も責任も派遣会社に押し付けられるから、必要なときにだけ派遣会社から採用して、商品が売れないとか、客の入りが悪ければ、直ぐ解雇するのだ。健康保険も年金も会社は負担しなくてすむ。これが、労働力のカンバン方式だ。米国では、政策の失敗で、不況に陥ると、企業は、社員を自宅待機させるのだが、その米国の真似をした日本の場合は、自宅待機すらない。フリーターは、派遣会社からのお呼びを待つ。お呼びがなければ、客待ち芸者のように何の保証もないまま待ち続けなければならない。その保証のないフリーターに対して、今度の政権は社会保険に加入させるのだそうだ。一見、失業者に保証をしようとするように見えるが、安い労働力のフリーターに、負担を増大させるだけだ。まず、正規雇用を企業にさせ、その上で保障させるのならいいが、これでは、企業の無責任を派遣会社という隠れ蓑に押し付けて、破綻している年金と、健康保険を貧乏人にも負担させて、さらに貧乏に落とし込むという政策だ。あまりに見え透いたしり抜け政策に笑えてしまいます。
科学者の池内了氏が、9月28日付け東京新聞夕刊に書いているのによると、企業の派遣社員採用指向は、それを通り越して、カンバン方式の派遣社員採用にまで至っているそうだ。カンバン方式というのは、トヨタ自動車が、大量生産のベルトコンベヤー方式に更なる効率性を求めて、在庫をなくすため、必要なときに工場に部品を納品させる仕組みだ。その時間になると、トヨタの工場の周りの道路は、部品を積んだトラックで埋め尽くされて、道路が倉庫の役割をするのだそうだ。この効率主義は、現在多くの企業に採用され、これで成功したトヨタ自動車は米国の自動車会社を抜いて世界に冠たる企業にのし上がった。池内氏は、企業の資本主義の徹底による、そのなりふり構わぬ傾向に対して、企業の倫理観を求めている。政治家の弱肉強食礼賛を批判している私と同じ考えなのは、良いとして、改善策に弱肉強食の資本主義にたいして倫理を求めるというのは良識的すぎるのではないか。最近、1円で株式会社を設立できる法律が出来て、猫も杓子も会社を経営できるようになった。当然の結果、人間性を無視した経営者が大量に発生するであろう。
そんな政治の下で、人間性を重んじる企業が育つのは至難の業だ。池内了氏の折角の良識もすでに無視されている。町金融の利率も債務者よりではなく、金融業者よりで決定されたばかりである。史上最大の多重債務者の自殺は減らないであろう。
電車の遅れは回避されないわけだ。
そんな政治の下で、人間性を重んじる企業が育つのは至難の業だ。池内了氏の折角の良識もすでに無視されている。町金融の利率も債務者よりではなく、金融業者よりで決定されたばかりである。史上最大の多重債務者の自殺は減らないであろう。
電車の遅れは回避されないわけだ。
この不況下でも、正規社員を採用していながら営業成績をきちんと上げている会社とは、そのひとつは「クロネコヤマト宅急便」で知られる『ヤマト運輸』である。しかし、前政権は、民営化が公共財政と不況のすべてを改善するかのごとくにマスコミに宣伝させて、郵政を民営化して、巨大な会社を野に放った。完全民営化までは、税が免除される準国営で、下駄を履かされて営業するわけだだから、『クロネコヤマト運輸』は、営業成績で不利な立場に立たされてしまうであろう。純粋に民営の会社は、政治家と官僚が握る巨大な税金でなりたつ利権会社によって、存亡の危機に立たされるということだ。政治家が正規社員を採用するように企業を指導していけば、年金、健康保険などの破綻は回避できたはずだ。政治家と官僚は、生き残りをかける双方から献金と天下りの申し込みを受けることになる。官僚政治は、飴と鞭を使って肥え太る仕組みだ。これが、明治維新以来続いて来た日本の仕組みである。そのような政治をマスコミで批判するものは排除されていく。排除する仕組みも上昇志向の強いものを役職に就けて上からの命令に異論を吐くものを左遷するということで批判しないものばかりで命令系統を作り上げている。そのような仕組みは、頂点が賢ければ、うまく機能するが、ボタンの掛け違いでいったん道を踏み外すと、『聖書』に出てくるネズミたちのようにみんな湖に向かって雪崩を打って飛び込んでいき、後戻りがきかなくなる。いずれにしろ、政治を批判しない国民の教育が進み、政治家を批判できない法律も次々と作られて米国盲従という現状は、米国イスラーエルに抵抗するイスラーム諸国ばかりでなく、それに距離をおている中国、インドからはどんな目で見られているかをもっと知るべきである。
外国人労働力に関連した排他思想は、いま喧しい靖国問題、年金破綻、健康保険法改悪と根がつながっている。
かなり前からのフリーターと最近のニートの増加は、企業に正規社員を採らないよう奨励することで出て来た問題だ。
フリーターが出て来た頃は、まだ正規社員を採用するのが当たり前だったが、不況が長引き、企業の救済に派遣法を作ったため、フリーターとニートが増えたのだ。
経済政策の失敗を、米国とイスラーエルの軍需景気頼みでアフガーニスターン、イラークに派兵したが、当初の予想通り米国は、ヴェトナムでの敗北という失策に上塗りをして、アメリカ国家崩壊を加速させたのだ。フーリッシュ・ブッシュと泥沼の小泉の親密な関係で、米国、イスラーエルとの心中を選んだ日本は、泥沼から這い上がれないことになった。
フリーターとニートが増えたことを家庭の問題にすり替えて論ずることをマスコミで奨励させて、不況を長引かせた政治家は責任回避している。フリーター、ニートは、無気力で、駄目なように言うが、文部省とその配下の教育委員会が一体になって何でも言うことを聞くように統制教育をして来たのだ。反抗できる積極性を持っているのは、暴走族くらいだ。ここで、教育基本法に手をつけるのは、もっと唯々諾々として米国に盲従する政治家に従う国民を作り出すためである。本来は、政治家が経済を回復する手だてを打たなければならなかったのに出来ない政治家が重要な地位にいるのだ。政治経済が米国を無視してはやっていけないにしても、現に正規社員をきちんと採用してこの不況を乗り切って来た企業もあるのだから、政策不在の政治家を選挙している国民にも責任がある。
かなり前からのフリーターと最近のニートの増加は、企業に正規社員を採らないよう奨励することで出て来た問題だ。
フリーターが出て来た頃は、まだ正規社員を採用するのが当たり前だったが、不況が長引き、企業の救済に派遣法を作ったため、フリーターとニートが増えたのだ。
経済政策の失敗を、米国とイスラーエルの軍需景気頼みでアフガーニスターン、イラークに派兵したが、当初の予想通り米国は、ヴェトナムでの敗北という失策に上塗りをして、アメリカ国家崩壊を加速させたのだ。フーリッシュ・ブッシュと泥沼の小泉の親密な関係で、米国、イスラーエルとの心中を選んだ日本は、泥沼から這い上がれないことになった。
フリーターとニートが増えたことを家庭の問題にすり替えて論ずることをマスコミで奨励させて、不況を長引かせた政治家は責任回避している。フリーター、ニートは、無気力で、駄目なように言うが、文部省とその配下の教育委員会が一体になって何でも言うことを聞くように統制教育をして来たのだ。反抗できる積極性を持っているのは、暴走族くらいだ。ここで、教育基本法に手をつけるのは、もっと唯々諾々として米国に盲従する政治家に従う国民を作り出すためである。本来は、政治家が経済を回復する手だてを打たなければならなかったのに出来ない政治家が重要な地位にいるのだ。政治経済が米国を無視してはやっていけないにしても、現に正規社員をきちんと採用してこの不況を乗り切って来た企業もあるのだから、政策不在の政治家を選挙している国民にも責任がある。
ヨーロッパの列強がアジア、アフリカ、南米に進出して来たのは、15世紀末からであり、その地域は次々と植民地化されていった。新大陸と命名されたアメリカの700万人にも上る原住民インディオ、インディアンは抹殺され、植民地化したアフリカから拉致された黒人奴隷が、新たに植民された。米国の黒人奴隷は、いまだに人権を無視された非差別の状態だが、南米の黒人奴隷がそれほど酷い非差別状態でないのはなぜなのであろうか。米国の支配者が人権を振り回して国際社会で暴力を振るう以前に、まず米国自身が自国の非差別民を救済するのが筋というものである。絶大な武力という暴力によって多くの国を植民地化して来た欧米列強からわが国を守るため明治維新以来、富国強兵策が取られたが、結果的には開国させられて百年足らずで人権と民主を掲げる、実は暴力国家、米国の植民地と化してしまったわけだ。
その暴力国家につくのか、富国強兵によって再びアジアからアフリカにかけての国々を植民地化して行くのか、日本をどの方向に持っていくかを開国と攘夷に揺れた幕末に戻って今こそは反省しなければならない時である。
暴力国家によって無理強いされたことをより弱い国に転嫁するという政策はその国々の国民の反発を受ける。我々一般国民は、海外の国民とお互いに友好的にそれぞれの国を旅できるのが望ましい。
米国人だから、或はその手下の日本人だからといって、石を投げつけられたり、殺されたりする国民同士の関係にはなりたくない。しかし、現実は日本も海外派兵をし始めたのだから、軍事力によって他国を支配する可能性と危険性がでてきた。
国民は、豊かに過ごすため、他国民を不幸に突き落とすことに鈍感であることは、欧米諸国の最近の他国民に対する排他的な動向からわかる。植民地からの安い労働力が問題になるように、日本もいずれは、外国人労働力を導入する必要がでてくるし、現に違法合法の外国人労働者がすでにいる。日本の若者の失業は、それと密接な原因を構成している。
その暴力国家につくのか、富国強兵によって再びアジアからアフリカにかけての国々を植民地化して行くのか、日本をどの方向に持っていくかを開国と攘夷に揺れた幕末に戻って今こそは反省しなければならない時である。
暴力国家によって無理強いされたことをより弱い国に転嫁するという政策はその国々の国民の反発を受ける。我々一般国民は、海外の国民とお互いに友好的にそれぞれの国を旅できるのが望ましい。
米国人だから、或はその手下の日本人だからといって、石を投げつけられたり、殺されたりする国民同士の関係にはなりたくない。しかし、現実は日本も海外派兵をし始めたのだから、軍事力によって他国を支配する可能性と危険性がでてきた。
国民は、豊かに過ごすため、他国民を不幸に突き落とすことに鈍感であることは、欧米諸国の最近の他国民に対する排他的な動向からわかる。植民地からの安い労働力が問題になるように、日本もいずれは、外国人労働力を導入する必要がでてくるし、現に違法合法の外国人労働者がすでにいる。日本の若者の失業は、それと密接な原因を構成している。
来春4月28日(土)、芳賀邸のお披露目をするときの式次第をどんなふうにするか。
まず、司会を誰にしてもらうかであるが、いずれ適切な人が候補に挙げられるであろう。冒頭に登米市登米町支所長に挨拶してもらい、つづいて、『登米物語』の歴史の巻頭言を担当する伊達宗弘氏に挨拶してもらうことになるであろう。登米伊達氏の17代当主だ。登米市長か仙台市長を嘱望されている人だから、この際、氏のお披露目にもなる。
出し物としては、岡谷地南部神楽であるが、東京や海外での公演も数回経験しているくらい盛んで、遠野の南部神楽に勝るとも劣らない。
このお披露目式を挟んで、伊達氏の世界史的な観点からの仙台藩の歴史なども講義されると良いであろう。仙台の宮城県図書館から借りて江戸時代の8メートルにも及ぶ大世界地図などを展示することも計画しうる。仙台藩は高野長英、林子平など開国の重要性を早くから主張していた人達を輩出するほど進取の気性に富んでいる。藩閥政府によって明治以来進められて来た富国強兵策は決定的に失敗したにもかかわらず、前の大戦での大敗に対する歴史的な反省がなされないままの現今、このお披露目をきっかけに明治維新以来、誤った方向に海外進出して来た日本の舵を田舎町から変えていく試みをしてみたい。
まず、司会を誰にしてもらうかであるが、いずれ適切な人が候補に挙げられるであろう。冒頭に登米市登米町支所長に挨拶してもらい、つづいて、『登米物語』の歴史の巻頭言を担当する伊達宗弘氏に挨拶してもらうことになるであろう。登米伊達氏の17代当主だ。登米市長か仙台市長を嘱望されている人だから、この際、氏のお披露目にもなる。
出し物としては、岡谷地南部神楽であるが、東京や海外での公演も数回経験しているくらい盛んで、遠野の南部神楽に勝るとも劣らない。
このお披露目式を挟んで、伊達氏の世界史的な観点からの仙台藩の歴史なども講義されると良いであろう。仙台の宮城県図書館から借りて江戸時代の8メートルにも及ぶ大世界地図などを展示することも計画しうる。仙台藩は高野長英、林子平など開国の重要性を早くから主張していた人達を輩出するほど進取の気性に富んでいる。藩閥政府によって明治以来進められて来た富国強兵策は決定的に失敗したにもかかわらず、前の大戦での大敗に対する歴史的な反省がなされないままの現今、このお披露目をきっかけに明治維新以来、誤った方向に海外進出して来た日本の舵を田舎町から変えていく試みをしてみたい。
9月10日(日)に登米の「芳賀邸」に来ると、増築部分のスレート屋根も葺かれ、床板が全て張ってあり、洋間の化粧板も張られ、奥の間の10畳は古い畳をそのまま流用して敷かれていた。あとは15畳の中の間に新しい畳を入れて、昔の納戸部屋で今は洋間になっている北東の小部屋の天井と壁にクロスを張れば、ほぼ出来上がりだ。東と西の高低差が15センチメートルになるほど、西の床が下がっていたそうだから、漆喰壁が歪みで落ちているところもあり、その修復をして、20枚ほどある障子の張り替えをすれば、ほぼ竣工だ。洋間を囲む戸が江戸時代からの障子と襖なのは、子供の頃からそれが当たり前で不思議でなかったが、床や、天井が洋風だから何とも変わった内装だ。北側3畳の部屋も床の畳を取り払い、化粧板敷きにした。見物人が板敷きと廊下の上を歩いて、「芳賀邸」をひと回りできるようにした。登米の町起こしの本『登米物語』が出来上がる来春、この家を「芳賀邸」と命名して、登米の観光地に加えようかと思う。そのお披露目式を4月28日(土)登米の南部神楽を「芳賀邸」で演じてもらい、賑やかに開催する。4月29日(日)は、伊達さんの天山公が一般に公開される日だから、マスコミを通して宣伝してもらい、全国から登米の観光に来てもらおうと思う。
次の首相に最も近い安倍官房長官は、安倍頼時とその子息、安倍貞任、安倍宗任の子孫だと言う。安倍頼時、貞任たち一族は、東北の地、陸奥を支配していたが、善政を布いていたらしい。京都の朝廷に帰順して、蝦夷の血を引いているため、俘囚と蔑視され、その首領として認められていたが、朝廷に納税を怠ったため、鎮守府将軍に任命された源頼義・義家父子の二代にわたる征服によって滅ぼされた。まるで、ブッシュ親子に滅ばされたイラークのフセイン一家のようだ。安倍一族や、清原一族が滅ばされたときの源頼義・義家父子の手口は、女子供も嬲り殺す凄惨なものだったらしい。そこらへんも現在のイラークやアフガーニスターンの状況とそっくりだ。勝った側は、そこに神社や教会を建てて、尤もらしい祝詞や説教をたれ、戦中の悪事を糊塗して知らぬ振りをするというのも全く同じだ。
安倍一族は、先見の明がなかったため、長期にわたって抵抗したものの、結局は朝廷の派遣した武力に屈した。
捕虜になって陸奥とは反対の関西の地に流された安倍宗任の子孫が、日本を支配する立場になって、950年前の敵を討てるか、それともやはり、先見の明に欠ける遺伝子を受け継いでいて、討ち死にするのか、面白い見物だ。
安倍一族は、先見の明がなかったため、長期にわたって抵抗したものの、結局は朝廷の派遣した武力に屈した。
捕虜になって陸奥とは反対の関西の地に流された安倍宗任の子孫が、日本を支配する立場になって、950年前の敵を討てるか、それともやはり、先見の明に欠ける遺伝子を受け継いでいて、討ち死にするのか、面白い見物だ。
しばらく『登米物語』の歴史を書くのに時間を割いていたため、やっと竹取物語ウルドゥー語訳を再開できる。前のパソコンのウルドゥー語の文字を打つのにいろいろ不具合があったため、句読点なしで進めていたが、新しいのでは、ちゃんと打てるので、今度は捗りそうだ。アップルも新しい器械が出るたびに文字も進化している。日本語も語彙が増えている。とはいっても、ちょっと見かけないようなのや、あまり使われていない言葉を漢字では拾えないのは、元々パソコンが英語向きに出来ているためだ。最近、出会った事実は、その実の實という旧漢字はウィンドウズの辞書では「かん」とも読むことが分かり、大きな漢和辞典で調べたが、それには、「かん」という読みが載っていなかったことだ。これは、何巻にもなる大部の漢和辞典が、パソコンの辞書に負けたということか。あるいは、『かん』は誤用なのか。ウ冠の下は、貫だから、「かん」と呼んでいいと思うが、古い大部の漢和辞典にもアップルの辞書にも載っていない。それ以上深入りせずそのままにしている。
自民党かなんかの加藤代議士の山形の実家が自称右翼に燃やされた。写真で見ると、金がなくてもなんとか保存したいと、私なら思うような、古くて立派な家だ。知恵の足らない現首相が、靖国で国民を煽ったのでそれに影響されたと言って燃やしたらしい。単純で分かりやすい論理にみんな納得であろう。右翼というのは、本来国を守る思想であり、古い立派な物事と考えを大事に守るはずが、いとも簡単に燃やしたものだと、現在江戸時代の古家の保存工事をしている私としては呆れかえってしまう。古い文化を内蔵する建物も守れないものは右翼でもなんでもない、ただの煽動されやすい愚民だ。前の大戦で戦ったものたちが優秀故に戦死し、その逆の生き残ったものが、生きのこることにかけては最優秀で、現在と未来を築いていくのだろうか。前の大戦で喫した大敗を正当化して未来を構築しようとする政治家の煽動に国民は、その煽動の標語が分かりやすい故に安易に乗っかってしまうのが現状だ。前の大戦の大敗で、戦争遂行の番頭たちは勝者側の連合国の東京裁判で罰せられたが、その大敗について、肝心の国民による反省も審判もいまだにない。現在の国民の思想的空白状態は、出世と金儲けにしか興味のない政治家に取っては、思うつぼというものだ。政治家先生を始めとして上から下まで関心が一方を向いているから日本国民の大勢の心情は煽動しやすい状態だ。日本を支配している外国と、その手先にとっては実に都合のいいことであろう。
そもそもが、尊王攘夷の官軍思想が、明治維新をした途端にすべて、欧米化、軍国化思想に替わって現在に至ったのだが。
そもそもが、尊王攘夷の官軍思想が、明治維新をした途端にすべて、欧米化、軍国化思想に替わって現在に至ったのだが。