加来耕三「織田信長と明智光秀」を読んだ。この著者は安土桃山時代のことをよく調べている。
秀吉が夫婦喧嘩した時、その妻のおねに信長が送った取りなしの仮名による手紙や柴田勝家に与えた「掟条々」は原文でも信長のきめ細かな性格が伝わる。また、信長が尾張清洲から美濃の稲葉山城に本拠地を移した時、信長の名付け親である京都妙心寺派の禅僧・沢彦宗恩(たくげんしゅうおん)が、城下の井ノ口を古代中国の周王朝の発祥地、岐山にあやかり「岐阜」と名付けたのなど、この地名が気になっていたものには納得できた。無宗教に見える信長が決してそんなことはないのがわかる。
現代物より時代物が面白いのはこんなところにあるのかもしれない。
秀吉が夫婦喧嘩した時、その妻のおねに信長が送った取りなしの仮名による手紙や柴田勝家に与えた「掟条々」は原文でも信長のきめ細かな性格が伝わる。また、信長が尾張清洲から美濃の稲葉山城に本拠地を移した時、信長の名付け親である京都妙心寺派の禅僧・沢彦宗恩(たくげんしゅうおん)が、城下の井ノ口を古代中国の周王朝の発祥地、岐山にあやかり「岐阜」と名付けたのなど、この地名が気になっていたものには納得できた。無宗教に見える信長が決してそんなことはないのがわかる。
現代物より時代物が面白いのはこんなところにあるのかもしれない。