芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

サルダール・パテルの誕生日がインド統一を誓う日に

2014年10月31日 | Weblog

今日は、サルダール・パテルの誕生日でその人を記念して国家統一の宣誓式をするというので、朝早く大学へ行った。9:15から式が講堂前で始まり、百名足らずの少ない参加者だが、彼のインド統一に思いを寄せる気持ちについて書いた文章をヒンディー語で唱和した。インドの統一をみんなで維持する努力をしようという内容だ。

サルダール・パテルは学生時代に習った独立運動をした人の一人だと思ったが、もう忘れているので、写真が出るであろうと思って参加し、久しぶりに写真で拝顔した。インドは、英国の工作で、パーキスターンと分離独立になったが、藩王国だった他の州は一つのインドに今も統一されている。独立当初の州のいくつかは、さらに分割されて、ウッタラーカンド州、ジャールカンド州などのように州がが増えている。


日本語授業中にノートパソコンがなくなったという

2014年10月30日 | Weblog

昨日の授業が終わって、帰りがけに、教室でノートパソコンがなくなったと言われた学生課の助手が探したがなかったと、私が車を待っていると言って帰っていった。今日の大学のメールで日本語授業中にでノートパソコンがなくなったから、至急返すようにと訴えていた。自分の授業中にどういう経緯でなくなったのかもわからず、どう対応していいか、困惑の態だ。


ヒンディー語新聞に、日本はあちこちの噴火で百年後に滅ぶ?

2014年10月29日 | Weblog

宿舎では、隣同士で、デフォールトのワイファイを使っているが、そのアンテナが向こうにあるので、こちらでは弱い。もう一つのワイファイがあるのだが、それはコチラ用であるのに、昨日から出来なかった。昨日からどちらのワイファイもまるで出来ない状況になったので、隣りのパソコンを使っていたら、掃除係が見てくれ、コードがちゃんと差し込まれていなかったとかで、コチラ用のが使えるようになった。しかし、一つのパソコンがワイファイを使うともう一つのパソコンで使えなくなる。容量が小さいのかもしれない。以前はそんなこともなかったので、今日、コンピュータの係りに聞きに行くしかない。

昨日は、水道の水が出なくなり、インドでは完璧ということがなかなかない。常に何か問題がある。尤も、日本でも、あまり変わらないかもしれない。放射能の海への垂れ流しは相変わらずだし、火山の噴火もあちこちでありそうなのに注意報もあまりなかったようだ。パートリカーというヒンディー語新聞に、27日月曜日付けで日本はあちこちの噴火で百年後に滅んでいるだろう?という記事があった。人口が放射能で激減するであろうから、ある程度当たっていると言えるかもしれない。


定期預金の解約に手間取る

2014年10月28日 | Weblog

ワルダの大学の中の銀行に預けていた定期預金が満期になったので、ディーワーリーの前に解約しようと思い、ジャバルプルの銀行支店の指示に従って、証書をスキャンしてメールで送り解約して普通預金に入れるように言ってやったところ、証書実物を送るようにメールしてきたが、ディーワーリー期間中に途中で紛失の恐れがあるので、今日、郵便局から書留で送った。書留料27ルピーだったが、1ルピー少なくお釣りをくれ、3、4日かかるという。この本局で受け取った荷物が抜かれていた。郵便局本局から近い肉屋で、骨付き鶏肉1キロ150ルピー(約255円)、卵15個60ルピー(約102円)で買った。リッジ通りを往復で7千歩以上歩いたので、朝のと合わせて久しぶりに1万歩以上歩いた。帰ったら宿舎のWi-Fiがつながらなくなっていた。隣の宿舎のパソコンはつながっているのに、我が宿舎のがつながらない理由が分からない。


太宰治の『キリギリス』ヒンディー語訳完了

2014年10月26日 | Weblog

今、ジャバルプルの宿舎に着いた。ジャイプルからの汽車は、デリーほどには1時間遅れということもなく、予定通り8時代に駅に到着した。ジャイプルでウマイド・ババン・ホテルから、マーラヴィア国立工科大学の宿舎に移ったら、Wi-Fiはつながっているのに、ブロックされているとかで、結局、2日間インターネットはできなかった。大学支給のノートパソコンを持って行ったせいであろう。そのパソコンで、太宰治の『キリギリス』を訳していたので、しかも、あと数ページだったので、持って行ってホテルで訳し終えることができた。ただ、引っ越ししてからは、インターネットのヒンディー・英語辞書が使えなかったので、十分な校正ができなかった。


ラームデーオ氏の細密画描き一家

2014年10月23日 | Weblog

シティー・ パレスで細密画を教えてくれている人は、4人兄弟の末っ子で、ジャイプルの絵や生地、宝石を売っている建物に入ってすぐのところで自分たち兄弟の描いた絵を売っている。ロンドンにも教え子がいて、ロンドンで展覧会を開いたことがあり、ウイリアム王子と撮った写真が新聞に掲載されたのを壁に貼っている。

今日は、先日シン氏と予約したマーラヴィア国立工科大学の宿舎に引っ越しだ。


シティー・パレスで細密画を教えてもらう

2014年10月22日 | Weblog

プールで遊び、昼食後、少し休憩してから、近くのクリパール・シンという人の工房にオートで行った。その人はだいぶ前に亡くなっていて、ロンリー・プラネットに出ている無料で細密画を教えるというのは、今はなかった。そこで、先日、ジャイプルのマーラヴィア国立工科大学からジャバルプルの工科大学に教えに来たシン博士に電話して、その大学まで行った。丁度明朝からデリーの実家に帰るという危ういところで、彼の知っている工房に車で案内してもらったが、教えていないといって、ジャワハール美術館を紹介されたが、もう閉まっていた。彼のお子さんに祝ディーワーリーの250ルピーを包んでから別れ、オートでホテルに帰った。往復300ルピーで済んだ。翌22日そのジャワハール美術館に行くのを止め、同じオートでホテルで教えられたシティー・パレスに100ルピーで行き、そこで教えているラームー・ラームデーオ氏に細密画を教えてもらうことになった。このホテルの情報もオートもしっかりしていてなかなかいい。ラームー・ラームデーオ氏は700ルピーで教授始業式の花輪などの必要な道具を買って伝統に従って始業式から始めて教え始めてくれた。


ジャイプルのウマイド・ババン・ホテルに宿泊

2014年10月21日 | Weblog

20日20:25ジャバルプル駅発の汽車に乗るのに初めての汽車なので1時間早く駅に行った。1番線のほうにオートが着いたが、出発時間の掲示が出ていないので、2.3カ所で聞いて、4番線で掲示を見るよう言われた。以前、連絡用上り坂だった所がエスカレータになっていた。しかも駅がきれいだ。寝台席は予約できているが、遅い予約だったため番号が分からないので、紙に張り出されているかと思ったが、それもなく、入線した汽車の2等寝台車に乗って、取り敢えず空いている席で車掌を待った。10分遅れで発車してしばらくしてから車掌が来て、隣の隣の車両に、広い続き席を用意してくれた。感謝のしるしに、祝ディーワーリーの袋に200ルピー入れて渡した。ディーワーリーの混み合うときだから、車両を追加連結したのだ。ラージャスターンの駅もきれいだったが、ジャイプルの駅近くなったら線路沿いにゴミダメのように汚れている。モディ首相の全国清掃運動は無視されている。ジャイプルには約1時間遅れの12時半に着いた。宿泊先のウマイド・ババン・ホテルに電話しておいたので、迎車が待っていた。ウマイド・ババンというとジョドプルの宮殿ホテルが有名だが、ジャイプルのも街中の元宮殿風で、それなりに立派である。小さいがプールもある。受付の対応もきちんとしている。プールわきで昼食をとろうと思ったが、できないと言われ、部屋の外のヴェランダで食べた。

 


今夜からジャイプルへ

2014年10月20日 | Weblog

今日から、ジャイプルに行く。急行の夜行列車で、約16時間で行ける。三年前ワルダにいた時にも行ったが、それ以来だ。私自身はジャイプルには、十回以上行っているであろう。学生たちは、先週の金曜日から、ディーワーリー休暇でそれぞれの実家に帰っている。つぎの授業は、二十七日からだ。11月半ば以降は、試験になるので、学生たちから、日本語の試験は12月初めにするように言われた。学部の学生の試験が11月末なので、その前の14日に予定していたが、大学院課程の試験がそこにぶつかると言う。今、日本語初級の授業を取っている中に修士課程と博士課程の学生が結構いるのだ。

だから、来月の授業は、前半だけで、あとは試験に関連した休みだ。12月は試験休み。インドの大学の教師というのは、一年の殆ど授業がないと言っていいのではないか。私の場合は、授業の時間は、月火水と少ないが、その準備に時間が取られるから、一日おきというのが丁度いい。ジャイプルからは、26日の朝に帰ってくるから、その午後に二十七日の授業の準備をすれば良い。もう、4度目の日本語初級の授業なのだから、準備などいらなそうなものだが、教科書テキストを見ていると、直したくなるところが出てくるので、結局作り直しになる。


ジャッグー・バーバー仕立て屋の横断幕の看板

2014年10月19日 | Weblog

ジャッグー・バーバー仕立て屋ナポレオンことラジェーシュ氏はよく働くから、いつも仕事をしていて、その収入の一部で横断幕の看板を最近作った。遠くからも見えるかなり大きな横断幕だ。ますます、客が増えるであろう。昨日は、風邪を引いたとかで、私が以前アーユルヴェーダの役立たなかった薬を買ったむかいの薬屋から薬を数粒買って飲んでいた。煙草も箱からばらして売っているが、薬も粒で買っているのだ。

デリーから最高裁の弁護士ヴァルマー博士の御嬢さん夫妻が夫の実家であるジャバルプルに昨日来たが、ヴァルマー家の油絵で修復したいものを持たせたと、連絡されていたので、電話して夕飯に来てもらった。奥さんのほうが妊娠しているので、餃子のほかに饗した赤飯が相応しかった。