去年の一周忌の墓参に行けなかったので、気になっていた永澤昭夫先輩の墓参に行った。お墓は、代々木八幡宮の隣にあることを教えられていたので、代々木八幡駅で降りて、坂を登った。去年の一周忌に行かなかったのは、坂と階段が多いことを知っていたからである。このところ、階段昇降も杖を使えば、ゆっくりとではあるが、できるようになったので、墓参を実行にうつした。永澤家累代の墓の隣に新しい永澤家の墓があり、弟さんに遅れること二年の平成二十七年十二月一日享年七十三歳の刻印があった。墓の前にかわいい野の花が何弁か咲いているのが、印象的だ。コックスの永澤さんには、エイトを漕いだ時の舵をずいぶん引いていただいた。出雲のレガッタを見に行った時はお元気だったのに、そのあと、抗がん剤治療を始めてから、急に弱ってその年のうちに亡くなったのだ。
26日(水曜日)に病院に行った。前回は七日金曜日だった。来月からも十日の水曜日になった。金曜日から水曜日に変わったのは、東大から来た医長と合わない医者たちが七人辞めたので担当の日が増えて、忙しくなった結果だからと言う。患者が病院の内紛に巻き込まれたのだ。
肝心の薬の効果はPSAが前回の1.675から二週間で1.588にやや下がった。ザイティガ250mg 四錠を空腹時に飲むのと、プレドニンというステロイド薬5mgを朝食と夕飯のあとに併せて飲むのとは効果があったから続けるということになった。
肝心の薬の効果はPSAが前回の1.675から二週間で1.588にやや下がった。ザイティガ250mg 四錠を空腹時に飲むのと、プレドニンというステロイド薬5mgを朝食と夕飯のあとに併せて飲むのとは効果があったから続けるということになった。
近藤勇の百五十回忌が板橋駅西口の真ん前で寿徳寺によって執り行われると東京新聞に出ていたので、二十三日(日)の十一時の始まりに余裕で到着した。実際は、十一時半ごろに読経が始まり、そのころには大勢の若者たちが並んで焼香の番を待った。なぜか若い女性が圧倒的に多い。墓所と言われる広い敷地が駅前の一等地に陣取っている。ここから百メートルほどの刑場で処刑されて、首は、京都でさらし首にされるので持っていかれ、胴体だけが、この敷地の大地主石山家によってによって葬られたということのようだ。
すみだ北斎美術館に行ってきた。明治新政府によって破壊された、世界を凌駕していた日本の江戸文化は、外国人には理解されているとみられ、館内の半数は、外国人で、バンガロールから観光に来たという若いインド人夫妻にも出会った。一般的には、もっと観光する場所があるであろうに、両国というあまり知られていない土地にわざわざ来ているのには驚いた。観光バスツアーの寄り道になっているらしく、館前の道路には、外国人を乗せた大型観光バスが何台も止まっている。墨田区行政の文化度の高さでもあろう。シーボルトが大枚をはたいて買った北斎の絵はオランダの美術館に所蔵されているのだ。欧米の模倣に走った明治政府高官の無知ぶりがうかがえる明治以降の文化政策を感じさせられた。
尚、北斎の波の絵に影響を及ぼすした波の伊八の千葉県の彫刻をいずれ見たいと思う。
尚、北斎の波の絵に影響を及ぼすした波の伊八の千葉県の彫刻をいずれ見たいと思う。
礫川公園に行ってきた。れきせんと読む。文京シビックホールと後楽園駅の前にある。保育園児が先生に連れられてきて遊んでいる。八重桜が満開で、つつじも咲き始めていた。その公園の上は、東京都戦没者慰霊碑の公園である。太平洋の諸島の銅板地図にそれぞれの地域の戦死者数が彫られていて、総数が2百40万と記されている。米国の戦死者数10万弱に比べれば、大変な戦死者数だが、私の知っている3白50万という膨大な戦死者数に比べれば、かなり、少なく見積もっていて、しかも正確ではない。およそ2百40万というのは、東京都出身者だけなのか、分らないし、実にいい加減な数である。百40万と書いてもおかしくないであろう。負け戦では、戦死者数をできるだけ少なく見積もるものらしい。
籠池の幼稚園で明治政府の教育勅語を子供たちに教えることを、現政権が称賛したが、このアナクロに加えて、ヴィエトナム人女子小学生がPTA会長に襲われて殺された。管理教育の弊害が一挙にぼろを出した。
最近、厚生年金の振り込みを15日にすると知らせてきた。が、驚いた。私のは二カ月に一回廿数万円の支払いだが、インドに行く以前は掛けられていなかった介護保険料八千円と所得税一万九千五百円が引かれて、残りは一ヵ月あたり十四万円しかない。私と同程度の年金支給を受けている人は田舎でならば生活できるかもしれないが、生活できないだろう。私のように毎月、高額の医療費がかかっている人は、なおさら生活できない。年金機構は私達の年金基金を米国の投資資金にも回し原資をべらぼうに失なっている。ない金を介護保険料と所得税に計算上で払って支給額を毎年減らしてる上に更に減らして破綻を隠している。
今日は、4週に一回の病院の日である。PSAが十月に0.998の底値の後、反転上昇を始め、前回が1.411、今回が1.67となった。主治医に抗がん剤をを断ったので、新しい薬を始めるという。その薬は、ザイテガと言ってヤンセンファーマ株式会社が作ってアストラゼネカが売っているようだが、飲み方などの注意点を読むと、男性ホルモンを抑えるがほかのホルモンも抑えるため、ステロイド系のプレドニゾロンも併用しなければならず、肝臓の弱体や心障害などの副作用があるという。そのため、こまめに検査をしなければならない。次回は、四月二十六日通院となる。抗がん剤より危険では困るが今のところこれしかゾラテックスとそのジェネリック医薬品ビカルタミドに代わる薬はないのかもしれない。気は重いが仕方あるまい。
病院の帰りは、桜におおわれた石神井川沿いに仲宿まで歩き、板橋の地名の故になっている板橋を模した石神井川に架かる橋と桜の写真を撮った。桜の奥の黄色い橋がそれだ。
病院の帰りは、桜におおわれた石神井川沿いに仲宿まで歩き、板橋の地名の故になっている板橋を模した石神井川に架かる橋と桜の写真を撮った。桜の奥の黄色い橋がそれだ。
染井霊園の桜を四月三日、月曜日に見に行った。ここは、高村光太郎・智恵子夫妻やその父光雲の墓があるので有名である。今回は、二葉亭四迷の墓にお参りした。真新しい花が供えられている。二葉亭四迷は本名、長谷川辰之助だが、日本文学の言文一致を創始したほどに、文学に入れあげていたため、父親から、そんな役にも立たないことに夢中になっているのは、けしからんから、「くたばってしまえ」と怒鳴られたので、それを筆名にしたのだった。ユーモアを解する人の楽しい命名である。親が望む帝国大学を出て明治政府の官僚になるつまらない人生を送りたくなかってのであろう。ロシア語をよくし、ロシア文学にも造詣が深かった。