芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

雨の一日

2010年06月30日 | Weblog
今日は、雨の予報だったから、昨日のうちに、無しフォアのリガーのボルトとナットの大きさの規準を見に行った。無しフォアは米国のヴェスポリ社製であるから、インチ規準かもしれないので、10mmと12mmの眼鏡レンチで確認したところ、どちらも合わなかった。ダブルスカルのほうは、10mmのほうの眼鏡レンチが合った。
ということは、古い米国製舟ゆえ、インチ規準なのかもしれない。最近は、米国製でも競技ボートはメートル法になっていると聞いている。インチ規準の道具を持っていないので、なんとも分からない。佐藤元大工さんに道具を持って来てもらって、確認するしかないが、このところ珍しくお茶を飲みに来ない。
舟のナットがメートル規準か見た帰りに、道沿いにある先祖のお墓に寄り、草取りと生け垣のヒバを刈って来た。かなり伸びているので、もう一度出直さなければならない。7月初旬に遠方の親戚が墓参りに来ると言うから、それまでに雨の晴れ間を見計らって出直すことにした。毎年、お盆前にお寺が、人を雇って草取りをしてくれているのだが、今年はそれ以前に自分で墓掃除をすることになってしまった。田舎住まいは、何かしら用事が出てくる。
8月1日のとよま水辺プラザ船着き場の使用許可を今朝役所に、申請した。これも一回ごとに申請するのでは、漕艇場の役割をしないから、もっと簡単に水辺プラザ船着き場の使用をできるように規則を改めてもらわなければならない。


仙台一高に新幹線通学できる今

2010年06月29日 | Weblog
一昨日の仙台一高の柔道練習を見ていて、その1、2年生の生徒が栗原の中学校出身で同じ姓のなので、兄弟で下宿しているのかと思い、尋ねると、栗原高原駅から新幹線通学していることが分かった。
私自身が、仙台一高に越境入学して、下宿生活をしていたので、興味を覚えたのだ。当時、私の町から仙台まで、軽便鉄道と東北本線を乗り継ぐと、3時間かかったから、通学は無理で、下宿生活となった。家を離れて自由の身になったので、天然色映画を見たり、夜はバーやクラブに通った。先日来、「仙台一高柔道部110年史」を作るので、その編集会議を後輩の服部君の弁護士事務所で始めた時、かつて通った仙台銀座が近いので、覗いたが、勿論、当時のバーも倶楽部もなく、何か甘酸っぱい感情にとらわれて、その一角の焼き鳥屋で焼酎のお湯割を飲んだ。
天然色映画は、友人と良く行ったが、先日亡くなった井上ひさし氏のように、学校をさぼってまでは徹底しては観に行っていなかった。その後、当時見た「十戒」などの映画が、米国とユダヤを好きになる教化映画であることが分かった。
下宿生活では、毎食弁当にいたるまで、サンマと沢庵だった下宿があり、仙台にいる間に4軒下宿を替わった。痩せて、のっぽというのが私に対する印象だったようだ。それで、柔道はとんと強くなれなかった。であるから、新幹線通学というのを聞くと隔世の感がする。大学に入ったら、身体を鍛えるというのが、至上の課題だった。

予期と期待

2010年06月28日 | Weblog
早朝起きて窓の外を見ると、地面が濡れている。昨夜も雨が降ったようだ。ヴェランダで読書していると、地震があった。大した揺れではないが、地震というと、宮城県に巨大地震が数年以内に90%の確立で起こると予報されているから、一瞬、身構える。
白猫が玄関前に通ってくる。食べ残しの魚を欠けた皿に乗せてあるのを食べに来るのだ。昨夜は、まずいからと皿に棄てたサメの切り身を銜えてなんども運んで行った。白い子猫を4匹連れているのを見かけたから、子猫たちに運んでいるのであろう。
野良猫だから、餌を必ずやらなければならないことはないが、都会に出かけて留守にしている時はどうしているか。やや気になる。やや、というのは、野良猫であるから、あちこちの家をほっつき歩いて食べているのを見かけるから、心配ないのだが、餌を期待はしていうるようで、置いてある皿を毎日のように確認に来るからだ。
昔、期待される人間像という言葉が流行った事がある。
あまり、期待されないほうが、気楽でいいのだが、期待されているのが分かると、途端に気が重くなる。期待に応えなければならないという気の重さだ。

蒸し暑い

2010年06月27日 | Weblog
今日は、蒸し暑い。
昨日は日差しが強く暑かったが、「仙台一高柔道部110年史」の会議が仙台一高の会議室で開かれる予定であり、仙台に出かけた。
このところ、新しい人が入ったため、既に決まったことの再説明に時間をついやしたり、会長自身が、会議に旧議題を持ち込んで、古い会議の決まったことの蒸し返したりするので、嫌になっていた。編集会議は少人数でいいと話していたのだが、人を増やすので、時間ばかり取られるようになった。
編集会議は急に中止になり、現役の生徒の練習を見て、引き続き後援会の総会になったので、そのばで編集の進行状況の説明をし、総会のあとに、気になっていることを若手のOBに話して、会議のやり方を変えるように話した。
そして、次回7月17日の会議には、忙しいから出ないといった。
しかし、出てほしいと言う。
それなら、漫然とした会議の進め方を止めて、議題を決めて、それを事前にメールでやり取りするなら良いと応えておいた。
昨日の生徒の柔道練習で面白かったのは、栗原から来ている、2年生の生徒が兄弟であることが分かり、中学校で相撲を取っていて全国大会に出て10番台の実力で、本当は仙台一高に相撲部を起こしたかったらしい。しかし、土俵を作るなど難しいので、柔道部に入れたのだと、数学教師で、監督の柔道部OB猪狩君が言っていた。
彼らは、栗原高原駅から新幹線通学をしているから、18時で練習が終わるようにしていて、栗原高原駅からは親に40分くらいのところに車で送迎してもらっていると言う。

東京方面からのトヨマ漕艇場参加者決まる

2010年06月26日 | Weblog
8月1日(日)のトヨマ漕艇場開所式の東京方面からの参加者は、たちまち8名になり、我が家の宿泊定員に達してしまった。
東京大学ボート部の淡青会から大隅多一郎氏、一橋大学ボート部の四神会から本田英生氏夫妻、東京外国語大学端艇部艇友会からは、香山氏、斉藤攻さん、谷内一郎さん、立花栄治さん、館次郎氏で、それぞれの大学のボート部ばかりでなく、日本漕艇会の現役の重鎮たちである。
ここまで、日本ボート協会中心メンバーが集まったのであるから、地元のボート関係者も呼ばなければならないであろう。
現役時代にエイトの4番をこいで、全日本レガッタで優勝した早稲田大学ボート部稲門の畠山和純氏は、現在、宮城県議会議員で議長を務めている。この方に来てもらえるように誘うが、今、参議院選挙の応援で忙しいかもしれない。
地元の有力者で、参議院選挙に民主党から立候補している桜井充氏も当選すれば呼びたい一人だ。
参議院選挙に自民党推薦で立候補している東京大学出身の元建設省OBの市川一朗さんも呼びたい。市川一朗さんは、仙台一高の先輩でもあるし、今、要請している北上川河畔の艇庫用地確保に国交省のOBとして、話しをしてくれるであろうから。
淡青会のOBにも国交省の関係者がいるらしいから、大隅多一郎氏にそちらは任せている。いずれにしても、いつまでも小竹牛乳の庭に野面置きしていては、舟が傷んでしまう。正式に艇庫用地を確保することが急がれる。

十三夜の白い月

2010年06月25日 | Weblog
昨夕は十三夜だったようで、満月に近い白い月が、東の北上高地の上に昇っていてた。夜は遅くまで月明かりに廊下が照り映えていた。
今日は、朝から快晴で、おそらく真夏日である。
東京方面のボート仲間との連絡で、トヨマ漕艇場の開所式を7月25日か8月1日にすることにしていたのを、8月1日(日)に決定した。7月25日が良いという向きもあるのだが、東京外国語大学端艇部のOBで現在、日本ボート協会理事長の館次郎氏が、8月1日なら出席できると言うから、最も忙しい欧州から帰ったばかりの館次郎氏の数少ない空いている予定に合わせた。
式次第やら、これから準備をすることを考えなければならない。
参議院選挙のころにも来客予定があり、選挙には忙しくて行けないかもしれない。
開所式に出てもらう人の名簿作りもある。

今年は山の幸が不作

2010年06月24日 | Weblog
朝、照るちゃんが車で来て、芳賀山に唐ダケのタケノコを取りに行こうと言う。去年の時期に比べて、まだ早いのでないかといったが、乗せてもらって行き、山の中に入った。ヤブ蚊があまりいないし、タケノコもまだ、あまりなかった。
昨年は、佐藤元大工さんと入った時に、ヤブ蚊がやたらといた。唐ダケのタケノコと言うと、ヤブ蚊と結びつく。そのヤブ蚊が少ないのでは、タケノコもまだなのは当たり前だ。
夕方、佐藤元大工さんが来たとき、そのことを云うと、家の近くの竹やぶでは、もう生っていると言う。山の高さが100メートルくらいあるから、それで遅いのではないかということだ。
一般に今年は、果物もあまり生らない年らしい。全般に他の山の幸も収穫が少ないと言われている。照るちゃんはワラビ取りに行くことが多いが、今年はあまり取れなかったようで、今年はあまり貰えなかった。私自身、少ししかワラビが採れなかったのは、自分の採集が未熟のせいかと思っていたが、そうでもなかったのだ。ひと安心である。
佐藤元大工さんの軽トラックに、近くまでのせられて、舟を見に行った。昨年、平泉から石巻までの漕ぎ下りの切っ掛けを作った岸田さんがダブルスカルの足りないシートを用意してくれるから、レール幅を測っておくようにいわれたので、測りに行ったのだ。帰って早速岸田さんにメールで長さが仰る通りに20cmであると報告した。

天気不明朗

2010年06月23日 | Weblog
小雨の予報だったので、一応傘を持って出かけたところ、昼近くに大雨になり、傘をさしてもズボンの裾が濡れてしまった。
予報では、12時頃は曇りであった。昼過ぎてからは、小降りになり、降ったりやんだりになった。
天気もちゃんと等圧線を見て、自分で判断するのがいいのかもしれないが、細かいところまでは、なかなか分からない。特に、寒気団が北から来ているなどというのは、どうやって分かるのか、教えて貰いたいものだ。
政治も、一寸先は闇と良く言うが、今度の選挙もどうなることやら。今、求められるのは、安定政権による、内需による景気回復と雇用の供給に対する実行力であろう。
鳩山政権は米国に警戒感を与えて、引きずり降ろされたが、菅政権は、少しひけているから、このままそっとしておいたら、持つかもしれない。まずは、選挙でどの程度の与党議員による安定政権を確保するかだ。
そして中国のような老かいな外交を展開することだ。

異常気象

2010年06月22日 | Weblog
昨夕、佐藤元大工さんの家に行くと、一昨日のヒョウで破れたビニール屋根を今直し終わったところだと、破れたビニール屋根を見せてくれた。小竹牛乳の屋根と材質が同じで、同じように大きな穴があいていた。今日の新聞によると、その雹の大きさが直径5cmもあり、それを保存した人の写真が載っていた。100円玉の2杯以上の直径だ。
80歳以上の古老たちも、こんな大きな雹を見たこともないという。
私自身、一昨日の雹は、見たこともない大きさだと思い、南からの強風で横殴りにガラス戸に叩き付けられて、大きな音を立てているのを見た時、ガラスが割れるのではないかと心配したが、幸い大正時代のガラスは割れなかった。リンゴなどの果物が落ちたり、穴があいたりしたという記事もあった。
実際、私は家の前に沢山落ちた青梅を掃き拾ったところバケツ一杯になったので、梅ジュースに良いと思ったくらいだ。しかし、やっと実のなったイチゴがあまりに水を吸ったせいか、腐ったり、食べてもうまくなかった。
天候に対する管理は、舟ばかりでなく、農業も難しい。

艇の管理

2010年06月21日 | Weblog
昨日の大雨と大粒のヒョウで小竹牛乳の庭においてある艇に穴があかなかったか見に行った。早速に、艇の管理をすることになった。艇は大丈夫だったが、小竹牛乳の車庫のプラスティック屋根に沢山の穴が開いて、叔母さんが途方に暮れていた。「凄い雹だったから、舟も見たら、大丈夫だったけど、屋根がこの通りで、全部取り替えないと」と言っていた。舟の方は、ビニールシートで覆っているが、その隙間に雨が入り込んで、垂れ下がっていたので、水を落とした。その間に蚊に刺された。
ダブルスカルの方のビニールシートは一度はがしてあるから、綺麗に再包装できていない。水が一カ所に集中してビニールシートが垂れ下がっていた。
やはり早く屋根のある艇庫が必要だ。
ダブルスカルは、廃艇とは言ってもまだ立派なものだ。これを野ざらしにして、傷みを速めるわけにはいかない。このダブルスカルは、もとは三菱養和会の艇で、中央大学が貰い、使っていたものだ。どちらも金持ちの団体である。そこから使わなくなったのを頂くのだが、まだ充分に使える保存の良さである。ダブルスカルのなくなっているリガーを新品ので製作するように注文したのに対して、デルタの谷古さんから早朝に電話で納品時期を早めに知らせると言って来た。