芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

鳥の命

2007年09月28日 | Weblog
セキレイが何を食べているのか知らずに、猫や烏などに食べられないようにと救ったつもりで飼いだしたが、捕獲して直ぐに鳥かごと一緒に買った麻の実とすりえを食べないので、庭や家の中の蜘蛛、蝿、コオロギ、バッタ、イナゴ、トンボ、カマキリを手当たり次第捕って食べさせたところ、イナゴ以外は食べることが分かった。
しかし、セキレイという小鳥の命を救うために、他の昆虫の命を多数殺すはめになり、何とも矛盾した気持ちである。
姉が、えさをやるのに面倒でないよう、トンボを沢山捕りおいて来たが、それをやるときに、姉は「トンボがかわいそう」と言いながら与えていた。セキレイは、トンボが特に好きらしく、えさ箱に入れるか入れないうちに長いくちばしで捕まえる。
考えてみたら、人間だって、肉、魚を始め、多くの動物を殺して食べていて、その殺すところを見ていないだけだ。最近では、調理されて店に並んでいるから、もとがなんであるかも分からない生き物が大半だ。穀類、野菜、果物にしたって命があるのだ。田舎では、ズッキーニ、苦瓜、ミニトマト、菜っ葉などを植えてそれを毎日、収穫して食べていたが、次々に伸びる葉や蔓は、命を感じさせる。
その伸びた葉や実を喜んで摘んで食べていたわけである。
子供の頃は、良く、自分が餌を与えていた鶏を潰してもらって食した。
人間も他の生命を頂いて生きているのに変わらない。
このことから直ぐ思い起こされるのが、インドの菜食主義だ。長い歴史の中で培われた智慧であり、習慣なのであろう。

セキレイを飼う

2007年09月27日 | Weblog
9月24日の休日に今回の芳賀邸公開を無事終え、姉と母の介護を交替して、帰京した。以前は、新幹線で往復していたが、ジパングの割引を適用されるようになった6月から、それに入会しようかと思い、規約を読んだら、面倒そうだから、入会を取りやめそれより安い仙台東京間の高速バスで最近は、往復している。バスは新幹線の3倍程度の時間がかかるが、昔の特急列車の速さだから、あまり苦にもならないし、乗り心地も良い。家から、東京まで、一日がかりではあるが、もう急ぐ必要のない毎日だから、気楽なバス旅行を楽しんでいる。公開中の終わり近く、散歩中に、猫か烏にやられて、翼をけがし、長いしっぽもなくなっているセキレイが飛べずにいるのを拾って、その足で、鳥かごを買ってしっぽが伸びるまで家で飼うことにした。それも姉に託して来たから、姉が戻る、10月初旬にセキレイのためにまた田舎に行かなければならなくなった。今回は、27日、10月4、11日のヨーガ教室をつとめてから帰省することになる。
セキレイは、主に、虫を食べ、買ったえさを食べなかったので、毎日、トンボ捕りと、コウロギ捕りをしていた。食パン、豆腐、生鮭を食べるので、助かる。

「河北新報」と仙台放送が3日に報道

2007年09月06日 | Weblog
「登米物語」を読んで、登米に興味を持ち、NHK仙台局の「小さな旅、東北」の担当ディレクターが話を聞きたいといって来た。我が家の屋根を葺いた85歳のスレート職人、高橋哲郎氏を紹介したところ、番組にでていたが、我が家は、10分番組で、時間が足りないからと結局取材されずに終わり、出なかった。9月1日の朝放送された。その9月1日の午前中に開いた芳賀邸での、「登米物語」中の「とよまの昔話」の朗読会には、「河北新報」と仙台放送がきて、取材していき、「河北新報」は9月3日の朝刊宮城版に写真入りで、朗読会と大澤和泉「とよまの昔話」原画展が紹介してくれた。仙台放送は、1日の夕方から、ニュースを見たが、やはり、9月3日の朝と夜のニュースに出たことが、後で、人から教えられて知った。仙台放送のホームページの動画ニュースでも出たそうだ。
現在、私のインターネットは、電話回線で見ているので、残念ながら、インターネットの写真はおろか動画を見るのは無理だ。
日頃、テレビを見ない主義をとおしているが、このときばかりは、芳賀邸の朗読会が取材されて放映されると思い、毎夕仙台放送のニュースを見たが、農林大臣の辞任を知っただけで終わり、芳賀邸の行事の放送を折角してくれたのに見られなかった。
しかし、その効果はあったようで、電話の問い合わせは結構あった。ただ、時々、電話回線をパソコンから元の電話ジャッキに戻すのを忘れて放置していたので、その間にきたかもしれない電話は受けられなかった。