最後の正月と宣告されてからまた新年を迎えられそう 2020年12月30日 | Weblog 指で便を掻き出すようになって、直腸の上の右の大腸のあたりに大きな腫れ物があるのに気づいた。最初それも便かと思ったが、そうではなかった。大腸の壁に張り付いていて、触ったところからかなり出血した。 来年は、これを巡って医師と相談し処置を決めることになる。 みなさま良い年になりますよう祈念いたします。
自分の指で排便 2020年12月22日 | Weblog 今日は今年最後の訪問治療であった。昨日と今日自分で人差し指を、ウォシュレットをかけながら肛門から入れて便をかき出したこと、便意をもよおしても便が下がってきていないのは、痔の脱肛による便意だと大久保医師に説明した。痔の塗り薬を来月分まで処方してもらった。
しもの前後から出血 2020年12月19日 | Weblog 昨夜の体重は62.6キロだった。一昨夜にやっと63キロになったのに一夜だけに終わった。 痔の塗り薬が沁みて肛門の不快感に夜中の0時に起きて排便して塗り薬をウォシュレットで洗い流した。それでも3時にまた起きて排便で力んだら血尿が5時まで続いた。朝は排便からも出血、午前中は朝食後昼近くまで眠りこけてしまった。
尺八で曲を吹いてみる 2020年12月18日 | Weblog 痔の塗り薬が効いたか不快感が和らぎ、昨夜は体重が63キロだった。 尺八の練習が腰掛けてしやすくなったので、短い曲に挑戦してみた。「出た出た月が、まあるい、まあるい、まん丸い」までは一気に吹けたが、「ぼおんのような月が」は音がかすれる。どうも歌口の欠けのせいではなく、みずからの未熟の所為の気がしてきた。長時間の腰掛けは、肛門の不快感はまだあるから出来ないが、毎日少しずつだけでも音を持続的に出す練習をしてみようと思う。
尺八を買う 2020年12月17日 | Weblog この数日、体重が62.6キロに戻った。肛門のあたりが腰掛けると不快なので便が下がってきているせいかと思っていたが、力んで排便してきたため鮮血が出るようになり痔が悪化していることに気づき、15日の訪問診療のとき痔の塗り薬を処方してもらった。不快感のため食欲があまりなく体重がなかなか増えない。 先週末アマゾンを介して中古の尺八を買った。塗り薬のおかげで短時間でも腰掛けられるようになったので尺八の練習がしやすくなった。上の前歯二本がないので音が出せるか確認するため中古の尺八を買ったのだ。歌口の息を吹きかける黒い部分が竹に対して斜めになっているのは欠けたのを修理したからだろう。そのせいかまだ未熟なせいか音はすぐに出せるようになったのにロ音やハ音から他の音程に移ると音がかすれる。
血尿多量で体重が急減 2020年12月10日 | Weblog 昨9日夜の体重は60.6キロに1.2キロも減っていた。原因はおそらく、血尿が多量に出たせいであろう。8日(火)に訪問診療があり、カテーテル・バルーンを交換したその夜から濃い血尿が9日いっぱい出たのだ。出血が多いと体重が減るらしい。幸い、9日の夜から色が薄くなり、溜まった尿はピンクになった。出血が収まってきたといえる。
体重の増えない悩み 2020年12月07日 | Weblog 体重62キロ台は二日天下で、その後は61,8キロが続いている。62キロ台にのせたとしても、63キロ台は年内には届きそうもない。まだ食べると気持ち悪くなることがあるからだ。血尿が1日おきに少量ではあるが出ているので鶏のレバーを食べるのだが、気持ち悪くなるので沢山は食べられない。
帰国して初めて電車に乗る 2020年12月04日 | Weblog これまで遠出というと、辻井伸行さんのピアノを聴きに行ったサントリーホールと紀尾井ホールで、共に慎重を期してタクシーで往復した。 12月2日(水)にフィジーから帰国して初めて地下鉄に乗った。空いている昼前後に大手町まで往復し、丸善のビルの上層階にある小松庵でそばの定食を食べた。ここの蕎麦は以前に食べて美味しかったので、今回は、天丼と温かい蕎麦のランチでその美味しさに満足した。このランチのせいか、ずっと61キロ台だった体重がその夜、一気に62、2キロになった。翌晩も62キロでなんとかギリギリで62キロ台を維持している。
アスカという言葉は古代朝鮮語なのではあるまいか 2020年12月02日 | Weblog 昨年11月25日の下記のブログに感想を書くようgooブログから求められた。 「寂聴さんの家を後にして奈良のホテルに行き、翌日キトラ古墳とその近所にある檜隈寺趾を観た。この地域は六世紀頃の早い時期の渡来人が定住した所のようだ。檜隈の隈は李寧煕さんが朝鮮で活動していたと言っておられたクマ族のことであろう。キトラもおそらく古代朝鮮語なのであろう。 一旦飛鳥駅に戻り同じ1日バス券で写真を掲載している高松塚古墳に行った。彼女によると天武天皇も葬られていた持統天皇の古墳から天武天皇の遺骨が高松塚古墳に移されたのだと言う。」 この頃トミに記憶力が衰えたので、恐らく、寂聴さんを訪れたのは長の別れのつもりだったのではないかと思う。 飛鳥に関心を持って行ったのは、この地方に古代の先進朝鮮民族が移住してきたのを確認したかったからだろう。李寧煕さんなど朝鮮語と日本語の関係に詳しい人が枕詞に古代朝鮮語を見ているところからも、おそらくアスカという言葉も古代朝鮮語なのではあるまいか。